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闘病短歌 [農・食・栄養・人間学]

みぞおちの 痛み半端な ものならず 仕事休みて 横臥しこらえり

よたよたと 歩み遅きに あきれ果て 無理に歩幅を 広げて歩けり

外来に 来たりしはずが 即入院 空きたる ベッドに身をよこたへり

絶食と 絶水安静 告げられて 横たわりつつ 点滴受ける

点滴の 柱に 四つ 薬液の したたるを見て 血は逆さに流れ

静脈の ふくらみ弱く 点滴の 針なかなかに 的射る至らず

不思議なり 朝昼夜の 食事時 食欲わかずに 違和感なしも

友のいう カメラものめよ 早く行け 早期発見 まさにそれなり

点滴の 針外されて トイレ行く 自由の空気 あゆみぞ軽く

病院に 早く至りて 救われぬ 生存率の 数聞き驚く

重湯から 粥の数字が 増えてゆく 治る力よ われにも備わり 

治りゆく 証(あかし)示せる その数値 血液検査 良き値(あたい)示せ 

急性膵炎で 上野のシロクマ 逝けり 我の身代わり なりしか

検査続き 思わず 歌いぬ 検査は続くよ どこまでも

内臓で 倒ると予測 せるものの 目前にあれば 困惑しつも

異常なる 数値下がりて 回復の はずなれども 腹痛収まらず

強力な 胃潰瘍薬 飲みにしも みぞおちの痛み 続きて口惜し

専門語 多くい出来て 戸惑うは 我が身の病名 覚えられずに

仕事の 行き帰りだけにて 精根尽きぬ 愛せる楽器 弾くをあきらめり

『農は過去と未来をつなぐ』・・・読書感想文 [農・食・栄養・人間学]

 福岡県のお役人として、農業指導員を30年以上やり、虫見板を全国に普及させ、減農薬農業の指導の先頭に立ち、ついに定年を待たずに退職。自然と共に生きる百姓をはじめた宇根豊氏。

 氏が考え実践したことをまとめた迫力ある書(岩波ジュニア新書)です。

 高校生向けに書かれていますが、これは幅広い年齢の人が読める本で、中学校の入学試験にも非常によく取り上げられているとのこと。さもありなんです。

 農業にいろいろな「ゆがみ」が見られることはよく知られているでしょう。しかし、それについての私たちの認識は実は漠然としたものではないでしょうか。あらためて、「百姓の子どもが初めて田植えを経験するのは、『田んぼの学校』のようなイベントである」とか、「兼業農家が多いといわれるが、実は現代の農家は『米だけを作る・野菜だけを作る・酪農だけをやる専業』であって、百姓の家で食べるものを自給している場合の方が少ない」などの実例を次から次へ紹介されると、逆に都市生活者の無理解を思わざるをえません。

 農村や農業の実態、なぜ現在があるのかを知らずに、「農業の6次産業化が突破口になる」とか、大規模農業を普及させても、諸外国との価格競争には勝てない」などと言っていた自分が恥ずかしくなります。

 教育にせよ福祉にせよ、資本主義と相いれない部分をもっているとの考えが宇根氏にはあって、随所に批判的な言質が出てきます。「偏っている、と言われるかもしれませんが、宇根さんの考え方が時代の先を行っていると評価してくれる人もいるのです」と書く。たしかに現代は過渡期、パラダイムシフトの時代と言えます。

 そうとらえた時、最終章で述べられる「農村の風景も農業生産物である」という考え方に深い意味を見出せると思います。

 「棚田はなぜ美しいのか」「なぜ稲植えでなく田植えというのか」「なぜ田の中には石がないのか。ぬるぬるしているのか」「なぜ百姓は稲が取れると言って稲を作ったとは言わないのか」などの問いも発せられ、それぞれ考えらさせられます。普段「農」について考えていることが、いかに薄っぺらかを思い知らされます。

 結局、産業は営々と受け継がれる人の営みであるという、当然であるはずの主張に貫かれているのがこの書です。実はイノベーションは90歳を過ぎた百姓たちが当たり前だとして語ってこなかったことにあったりする・・・

 人間形成期の生徒・学生の多くに人たちを中心に、この本を手掛かりに人間の営みとしての産業」に目覚めてくれることを期待したいと思いました。
 
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