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山川『世界各国史(1)日本史』再読・その2;推古朝の評価~ [歴史]

 さきたま古墳群は埼玉県行田市埼玉にあります。埼玉はさきたまと読みます。ここが埼玉の名前の起こりなので、浦和・与野・大宮が合併して新市名になるとき、埼玉と漢字表記することが認められず平仮名表記になりました。

 151文字が金で象嵌された鉄剣が出土した稲荷山古墳もこのさきたま古墳群にあります。この151文字の中に「ワカタケル大王」の文字があって、ワカタケル大王がシキの宮にいた時に、警備隊長としての姓(カバネ)がこの古墳の被葬者ヲワケ一族に与えられていたことも書かれています。

 ワカタケルは『宋書』倭国伝にある倭王武に比定されていますがワカタケルあたりから、ヤマトの王権で王でなく大王と呼ばせる権力が台頭してきたことを物語っています。ワカタケルは『古事記』・『日本書紀』の雄略天皇と考えられていますが、この雄略天皇はきわめて残虐な人物だったようです。もっとも自分の政敵を排除するのに殺害してしまうというのは、奈良時代でも行われていたわけですが、いずれにせよ強大な権力がないと実行もできないし、政敵殺害後に自らが影響力を行使し続けることもできません。

 ワカタケル大王の時代は前方後円墳の時代で、ヤマト王権の時代です。ワカタケル以前はヤマトや瀬戸内、筑紫などの豪族は横一列に近い関係で、一応大王家が真中に立って各氏族に役割を与えていたようです。したがって、中には筑紫の磐井のように反乱をもって抵抗する勢力も現れてきます。ワカタケルのころからは大王家が武力的にも優位に立つよう力関係の変化が起こってきました。

 豪族・氏族のあいだで優位に立つためには、財力と軍事力が必要だったでしょう。また大陸の先進的な技術をもっていることも重要でした。ここで渡来人の果たす役割が大きくクローズアップされます。最も多くの、しかも優秀な渡来人の集団を抱えていたのは蘇我氏でした。蘇我氏は大王家とも縁戚関係を結び、大王家も蘇我氏と共同して自らの権力を伸長させようとします。

 その時期が推古朝にあたります。内外の危機の時代であったともいえます。国内では豪族間の権力争いが頂点に達し、特に蘇我氏と物部氏の対立が激化しました。テーマは仏教の受容をめぐって、です。外からの危機は、分裂していた中国が隋帝国により統一されたばかりか、隋は侵略的な傾向をもっていました。朝鮮半島にも勢力を伸ばそうとしましたから、百済・新羅・高句麗が鼎立していた半島の情勢は一気に流動化します。

 国内では天皇の後継にふさわしい人物が幾人かいたようですが、それらの皇子を押し立てて争っている場合ではない危機が隣り合わせにあった。こういうときは争いをさけるために中継ぎ的な大王を立てるのです。こうして擁立されたのが推古でした。

 推古やそのおい厩戸皇子は蘇我系です。蘇我氏の頭首は蘇我馬子です。この三者が権力の中心になり、大王家を頂点とする、大陸の身分制や法による合理的な支配にならった政治改革が進められるのです。これが冠位十二階と十七条憲法の制定であり、それは同時に氏姓制度の解体を意味しています。ときあたかもその7世紀初頭、巨大な前方後円墳の造営はぱたっと終わりを告げます。このことは全国の首領連合としてのヤマト政権が、大陸風のヒエラルキーをもった政権へと変貌をとげていくことを示してもいるのです。

山川『世界各国史(1)日本史』~縄文時代再読 [歴史]

 学びて時にこれを習う、また楽しからずや

 山川出版の世界各国史第1巻の『日本史』を再読しています。読み飛ばしていたないしは気付かずに通し越していた記述が目につきます。
 
 たとえば、縄文時代です。「戦前からの4区分に草創期・早期を加えただけの区分になっていて、十分科学的・体系的と言えない」の指摘があります。縄文時代の終わりをどう見るかについても突帯文土器に注目する見方が提示されていますが、これもすっかり忘れていました。縄文期の稲作をどう評価するかについても、本書では、慎重、ないしは保守的な見解を示しています。

 三内丸山遺跡の評価についても、1500年の定住期間を通して500件の竪穴住居の跡が確認できるのであって、「一時期の集落数は20~30軒であろう」とする評価には説得力があります。ともすると縄文時代の大都市的なセンセーショナルな伝えられ方をする同遺跡、学問的に冷静かつ多面的なな見方を振りかえる必要を感じます。三内丸山は縄文時代の交易の幅広さを物語る証拠でもあるのですから。

 縄文時代は定住生活の形で、約1万年続いたのですが、それは食糧が豊富であり、あるいは、森を焼いて、畑作をしていたことにもよります。三内丸山での栗の栽培についても本書では紹介しています。しかし、一方で10000年の間狩猟・採集・小規模な栽培農耕の段階から抜け出せなかったのはなぜだろうかという疑問は当然生じます。本書ではその解答の一つとして自然災害を挙げています。今年の2月関東甲信越を襲った大雪や、夏の広島を襲った土石流。縄文の集落の発展があると見るや、自然の猛威が襲いかかる。

 広島の災害のニュースを見るにつけ、本書の指摘が適切なものと思い起こされます。

甲州の名刹 [歴史]

 甲府盆地は古くから金が産出したり、律令時代からぶどうの産地としても名高かったところであることはよく知られています。

 現代でも、山梨県は果実の生産が多く、農業従事者の所得が高い県となっています。しかし、今年2月の大雪の傷跡が残っており、破れたままになっているビニルハウスの中のブドウを見るにつけ、収入が激減せざるを得なかった農家の苦悩に思いが至ってしまいます。(写真は破れたビニールハウス;東山梨駅の近くで撮影)2001_0101_000000-DSCN3923.JPG
 甲府盆地の北東部に笛吹川フルーツパークがあり、その斜面を登りきったところにほったらかし温泉があります。PH10のアルカリ泉で成分の96%がナトリウムイオン。お湯は少しぬめぬめ感があります。朝は夜明けの1時間前から入浴できます。今日は雨のためほとんどお客さんがいません。8時ごろから長々と朝湯を使ったので身上をつぶすかな?

 ほったらかし温泉からさらに北西に進路をとると、武田信玄ら武田家の菩提寺である恵林寺(えりんじ)に着きます。臨済宗の禅寺で、大変立派な構えですが、質素で武家の好んだ気風が反映されています。庭園は夢想国師の設計です。武田信玄・柳沢義保(彼は甲府藩の藩主でもありました)の廟もこの寺にあります。2001_0101_000000-DSCN3936.JPG

 恵林寺から東山梨駅に向かうと、駅の裏側に室町時代に建てられた禅寺である清白寺があります。ここの仏殿は1416年ころの建立で、禅宗様の典型的な入母屋造りをとっています。屋根の反りが禅宗の緊張に満ちた世界観を伝えます。建物は鎌倉の円覚寺舎利殿や東京・東村山の正福寺千体地蔵堂とよく似た作りです。内部が漆で彩色され細かく彫刻が施されているそうで、同時代の禅宗様の堂宇で同様の作例のものはきわめて少ないそうです。国宝。2001_0101_000000-DSCN3948.JPG

 甲府盆地の西端には勝沼ぶどう郷駅がありますが、この近くに「ぶどう薬師」の像があることで知られる大善寺があります。薬師如来は5年ごとの御開帳で4年後には実物を拝観できます。薬壺の代わりに左手のひらの上にブドウを持っている薬師如来像です。

 この行基が開いたというお寺は、仏殿が大きくみごとで、内部には薬師如来のほか、日光・月光菩薩、十二神将像が安置されています。鎌倉期の代表的な和様建築とのこと。国宝。2001_0101_000000-DSCN3940.JPG

 小雨で時に激しくも降る中を、社会科の先生お二人が誘ってくださいました。いろいろ解説もお聞かせくださって有益でした。お忙しい中、ありがとうございました。

 



キトラ古墳壁画 [歴史]

 漆喰に描かれた図の劣化がひどく、100枚以上のパネルに分解して修復をし、明日香村にまた埋め戻されるというので、短期間、県外では最初で最後の公開。それではと、東博まで足を運んだ。

 金曜は夜8時までの開館である。に、かかわらず、午後4時30分前に東博に到着したら50mくらいの行列で、約30分弱待ち。いつかの大徳川展で雨の中50分待たされたにくらべれば楽(苦笑)。高校生もずいぶん来ている。いいことです。

 壁画実物の前でも20分ちかく行列で待たされる。さらに、表敬館での関連展示も見て6時ころ行列を見てみると100m近くになっている。東博の人の話では、「今後は黄金週間に入り、会社帰りの人たちも多く見に来られるので一層混むのでは。たぶん、金曜では今日が一番少ないはずですが、今日は内覧会とも重なっているので、やや人が多いのかもしれない」とのこと。

 これから見ようとする方々の参考になれば。

 ほんものはかなり劣化が激しく、牛の図などはどこに何が描いてあるかわからなかった。

 一番生き生きしているのは白虎。これは古墳石室のふたにあたる石の内側にあって、おそらく白日のもとで描かれたもの。それで筆致が生き生きしているらしい。ほかの絵は石室の中で漆喰を塗ってから、その上から描いたものという。

 会場では陶器製の複製も展示されていて、その精巧さは驚くべき水準である。植物の根が浸食して壁画にひび割れが生じているのもそのまま復元している。画像の見やすさはほんものよりやや見やすい程度である。本物はA3かB3くらいのサイズで切り刻まれているのに対し、レプリカは石室の大きさになっているので、現地の様子が的確にわかる。

 しかし、もちろんほんものの迫力には及ばない。不思議なもので、本物はなにか訴えかけてくるような迫力を持っている。人間の営みを直接受けとめることの重大さを感じさせられる。

 展示の最後に高松塚古墳の壁画復元も展示されている。キトラ古墳は高松塚より少し前のものと推定されているが、この短時日の間に死生観の転換が起こった(伝来した)ようで、高松塚では12方位に神獣は描かれていない。そのかわり飛鳥美人だ。キトラでは獣面人体の十二支の神獣が描かれている。

 西安郊外の唐代蔚徳大使古墳の石室に至る隧道一面に大きな人物群衆図が描かれていたのを思い出した。このころになると殉死の強制はなくなり、壁画を描くことで死後の守りを確保しようとしたのである。ただ唐と倭国、国力があまりにちがう。壁画の大きさは比較にならない。

 キトラ古墳は現地の人たちのその土地の呼び名からきている。高松塚は墳丘の上に松が枝を伸ばしていたことからの名である。ともに藤原京の朱雀通の南方向の延長線上にあって、この線上に天武・持統稜もある。被葬者は皇族であろうと考えられている。墓誌がないので、骨や歯は石室から出てきたが、わからない。

 作者もわからない。朝日新聞では、日本書紀にも名前の見える渡来系の絵師、黄文連本実(きぶみのむらじほんじつ)を最有力候補としていた。図録34ページに文化庁文化財課の筒井忠仁氏が、「朝廷で地位をもった官職にあった人が」、までは書くが、「具体的な名前は特定できない」としている。

 朝日の記事は大衆迎合的な匂いも強いが、白鳳期、大陸の影響が強いことを再確認できる企画になっていることを示している。

ベアトゥス黙示録写本挿絵 [歴史]

黙示録に取材したこわい音楽作品もあるにはあるが、リアルな怖さを訴えるのは絵画が優れているように思われる。

ベアトゥス黙示録に次のような物語が出ている。

私は海から上がってくる獣を見た。
それは10本の角と7つの頭があった。
角には10の王冠をかぶり、それぞれの頭には神を冒涜する名がつけられていた。
竜は獣に権威をあたえたので人々はこの獣を崇拝した。

ベアトス黙示録ファクンドゥス写本.jpgこれをインキュナビラ―で書き、見開きのページ全部に挿絵が描かれている。中世美術の粋と評価されているものである。かなり忠実に黙示録の内容を描き、色面構成の卓抜さと積載の選び方の鮮烈さで、現代のわれわれの美意識を十二分に刺激する。写真はファクンドゥス写本と呼ばれる本の挿絵である。


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歴史人物と業績をキーワードで覚える(日本の歴史編) [歴史]

受験生の皆さん。歴史が苦手という人、かなり多いですね。日本人の歴史好きといいますが、好きなのは源平合戦だったり、戦国武将の武勇伝だったり、幕末であったりと、時代的なものをはじめとして、かたよりがあるように感じます。

 小学校や中学校の社会科(歴史的分野)を人物本位に扱う方針を文科省が出しています。それにそって「マスターする人物厳選200人(?)」をあげてみましょう。

(1)考古の時代
1・漢の倭の奴の国王(金印)  
2・卑弥呼(邪馬台国・魏志倭人伝) 
3・倭王武(ワカタケル大王・埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣)  
4・倭王讃(伝仁徳天皇・大山古墳) 

(2)飛鳥時代
5・蘇我馬子(厩戸皇子との政治・石舞台古墳?)  
6・推古天皇(最初の女帝・治世中に冠位十二階・十七条憲法・遣隋使派遣) 
7・厩戸皇子(聖徳太子・四天王寺・法隆寺~若草伽藍~を建立。飛鳥文化)  
8・小野妹子(第1回遣隋使)  
9・煬帝(隋の皇帝・小野妹子が持参した手紙に激怒しつつも遣隋使に対して返答使を送る)  
10・蘇我入鹿(専制をふるう・いっしの変で殺害される)  
11・中臣鎌足(いっしの変・大化の改新を推進したと伝えられる・死後藤原の姓を天皇から授かる) 
12・ 中大兄皇子(いっしの変で蘇我入鹿を殺害・白村江の戦いに出兵敗戦・水城・防人を置き、戸籍を整    え、都を近江京に移す。天智天皇)
13・天武天皇(天智弟・大海人皇子・妻が持統天皇・富本銭の鋳造・乞食・日本書紀の編纂を指示・天皇の権力が最大)  
14・持統天皇(女帝・藤原京・薬師寺・白鳳文化)  
15・藤原不比等(鎌足の息子・大宝律令の編纂) 

(3)奈良時代
16・元明天皇(女帝・平城京)  
17・聖武天皇(墾田永年私財法  大仏 正倉院 東大寺 国分寺 天平文化)  
18・光明皇后(聖武天皇妃・藤原不比等の娘・悲伝院・施薬院)  
19・行基(渡来人の子孫・社会事業・大仏造立に協力)  
20.・鑑真(唐招提寺・律宗を伝える・唐の高僧
21・阿倍仲麻呂(留学生・帰国できず「天の原 振りさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」) 22 山上憶良(貧窮問答歌)

(4)平安時代
23・桓武天皇  (平安京に遷都)
24.坂上田村麻呂  (征夷大将軍)
25.アテルイ  (蝦夷の首領)
26.空海  (真言宗)
27.最澄  (天台宗)
28.藤原良房  (摂政)
29.・菅原道真  (関白)
30. 藤原元命(尾張国の国司・郡司・百姓らに悪政を訴えられる 国司の不正) 
31.平将門  (承平の乱 新皇 関東地方に独立国的政権を立てる)
32.藤原純友 (天慶の乱 伊予日振島挙兵 武士の強大化を代表する事件) 
33..藤原道長(日記『御堂関白記』が記憶遺産 娘4人を天皇の妃にする 藤原氏の全盛)  
34..藤原頼通 (道長の息子 宇治に平等院鳳凰堂を建てる) 
35. 紀貫之 (土佐日記 古今和歌集仮名序)
36.紫式部 (源氏物語)
37.清少納言(枕草子) 
38.後三条天皇 (荘園整理令 藤原氏との縁戚関係が薄い)
39.白河上皇  (院政)
40.源義家  (前9年の役・後三年の役)

(中世編・中世の始まりをどこに見出すかは難題。問題を含むが平氏政権以降としておきます)
41・平清盛 (平治の乱後武氏として最初の大城大臣・日宋貿易)
42.源義朝 (保元の乱・平治の乱)
43.源頼朝 (征夷大将軍 守護・地頭をおく 鎌倉に政所・侍所・公文所を置く) 
44.源義経(平家を滅亡させる)
45後白河法皇(源氏・平氏の武家実力者を対立させ、権勢をふるった)
46・北条政子(源頼朝妻・尼将軍・承久の乱で御家人をまとめる演説)
47.北条義時(北条政子の弟。源氏が三代で滅亡したのちの鎌倉幕府の中心人物)
48.源実朝(鎌倉幕府玄時代3代将軍・おいの公暁に暗殺される・金塊和歌集)
49.後鳥羽上皇(承久の乱・隠岐に配流)
50.北条泰時(鎌倉幕府3代執権。御成敗式目の制定)
51・北条時頼(鎌倉幕府第5代執権・鎌倉幕府の全盛期を築く)
52.チンギスーハン(モンゴル帝国)
53.フビライーハン(元の皇帝)
54.北条時宗(鎌倉幕府第8代執権・文永の役・弘安の役・円覚寺)
55.竹崎末長(肥後の御家人・モンゴル襲来時に活躍・「蒙古襲来絵詞」)
56・栄西(臨済宗)
57.道元(曹洞宗)
58.一遍(時宗)
59.法然(浄土宗)
60.親鸞(浄土真宗)
61.日蓮(日蓮宗)
62.後醍醐天皇(建武の新政)
63.新田義貞(鎌倉攻め)
64.楠正成(河内の土豪武士・後醍醐天皇に協力)
65・足利尊氏(鎌倉幕府を滅亡させる・室町幕府をひらく)
66.足利直義(関東管領・足利尊氏の弟)
67.足利義満(室町幕府第3代将軍・勘合貿易をはじめる・金閣を造立・能楽を保護)
68.永楽帝(勘合貿易を許可した明の皇帝)
69.足利義政(銀閣・東求堂同仁斎・応仁の乱)
70.細川勝元(応仁の乱)
71.山名奏全(山名持豊)(応仁の乱)
72・李成桂(イ・ソンゲ)(1392年朝鮮王国を建国)
72..尚把志(琉球王国を建国)
74 観阿弥(能楽)
75・世阿弥(能楽・風姿花伝)
76・雪舟(画僧・水墨画)
77・足利義昭(室町幕府最後の将軍)
78.毛利元就(下剋上の代表的戦国大名)
79.狩野光信(絵師・狩野派)
80.フランシスコ・ザビエル(1549年鹿児島に上陸・キリスト教を伝える)

(4)近世・・・織豊政権~江戸時代
80.織田信長(尾張の戦国大名 天下布武 桶狭間の戦い 安土城 楽市楽座 長篠の戦 足軽鉄砲隊 本能寺の変)
81.今川義元(駿河の戦国大名 桶狭間の戦い)
82.武田勝頼(甲斐の戦国大名 長篠の戦)
83.明智光秀(本能寺の変)
84~87.伊東マンショ・千地和ミゲル・中浦ジュリアン・原マルチノ(天正遣欧使節)
88.支倉常長(ノビスパニアに渡る 世界記憶遺産)
89.豊臣秀吉(山崎の戦い 太閤検地 刀狩り 天下統一 朝鮮侵略)
90.千利休(堺の商人 侘び茶 豊臣秀吉に仕える 桃山文化)
91.出雲の阿国(阿国歌舞伎 桃山文化)
92.李舜臣(壬申倭乱に抵抗 朝鮮水軍の司令官)
93.石田三成(関ヶ原の戦い)
94.徳川家康(三河の戦国大名 関ヶ原の戦い 江戸幕府 征夷大将軍)
95.徳川秀忠(2代将軍 武家諸法度)
96.徳川家光(3代将軍 武家諸法度に参勤交代を追加 日本人の海外渡航帰国を禁止 島原天草一揆 ポルトガル船の来航を禁止)
96bシャクシャイン(松前藩のあくどいしうちに抵抗)
97.徳川綱吉(5代将軍 生類憐みの令 元禄文化)
98.松尾芭蕉(俳諧 奥の細道 元禄文化)
99.近松門左衛門(脚本 国姓爺合戦 元禄文化)
100.井原西鶴(浮世草子 日本永代蔵 元禄文化)
101.菱川師宣(肉筆浮世絵の絵師 見返り美人図 元禄文化)
102.尾形光琳(絵師 菖蒲図屏風 元禄文化 琳派)
103.俵谷宗達(絵師 風神雷神図 元禄文化 琳派)
104.新井白石(儒学者 正徳の治 長崎貿易の制限)
105.徳川吉宗(第8代将軍 紀伊藩出身 享保の改革 年貢率引き上げ 新田開発 上米 公事方御定書 目安箱)
106.田沼意次(田沼時代 株仲間の奨励 天明の飢饉で失脚)
107.三井高利(越後屋)
108.河村瑞賢(江戸大阪間に航路)
109.松平定信(寛政の改革 幕府の学校で朱子学以外の学問を教えるのを禁止 囲米)
110.青木昆陽(甘署先生)
111.杉田玄白(解体新書 蘭学事始)
112.前野良沢(解体新書 蘭学者)
113.与謝蕪村(俳諧)
114.小林一茶(俳諧)
115.滝沢馬琴(読本作家 南総里見八犬伝)
116.十遍舎一九(滑稽本作家 東海道中膝栗毛)
117.歌川広重(浮世絵師 東海道五十三次)
118.葛飾北斎(浮世絵師 冨嶽三十六景)
119 宮崎安貞(農学全書)
120安藤昌益(『自然真栄道』)
120本居宣長(国学・『古事記伝』)
120.大塩平八郎(大阪奉行所与力 大塩平八郎の乱)
120.水野忠邦(天保の改革 人返し令 棄捐令)
121.高野長英(医師 蘭学者 モリソン号事件を批判 蛮社の獄)
122.渡邊崋山(医師 画家 蘭学者 蛮社の獄)
123.伊能忠敬(蘭学者 大日本沿海與地全図)
124.シーボルト(オランダ商館の医師 ドイツ人 鳴滝塾)
125.井伊直弼(幕府大老 彦根藩主 日米修好通商条約を結ぶ 安政の大獄)
126.ハリス(アメリカ総領事 日米修好通商条約)
127勝海舟(幕臣 幕末期の幕府の指導的人物)
128.坂本竜馬(土佐藩出身 薩長同盟 海援隊)
129.徳川慶喜(第15代将軍 水戸藩出身 大政奉還)

(4)近代(明治~昭和20年)
130.西郷隆盛(薩摩藩出身・江戸無血開城・維新の三傑・征韓論・明治6年の政変・西南戦争)
131.大久保利通(薩摩藩出身・富国強兵殖産興業・岩倉使節団)
132.木戸孝允(長州藩出身・五カ条の誓文・岩倉使節団)
133.岩倉具視(公家・明治維新・岩倉使節団)
134.明治天皇(大津事件・大日本帝国憲法)
135.モース(お雇い外国人・アメリカ人・生物学者・大森貝塚発見者=日本の考古学の父)
136.ブリューナー(お雇い外国人・フランス人・富岡製糸場を設計運営)
137.モレル(お雇い外国人・イギリス人・日本の鉄道敷設を指揮)
1387.クラーク(お雇い外国人・アメリカ人・札幌農学校教頭・「少年よ大志を抱け」)
1398.ベルツ(お雇い外国人・ドイツ人・東京大学医学部・「ベルツの日記」)
140.岩脇弥太郎(三菱財閥)
1410.福沢諭吉(慶応義塾・「学問のすすめ」「脱亜論」)
1421.中江兆民(東洋のルソー 「民約論」)
1432.津田梅子(女子留学生)
1443.井上馨(鹿鳴館時代)
1454.板垣退助(土佐藩出身・征韓論・明治6年の政変・民選議院設立建白書・立志社・国会期成同盟・自由党・わいはん内閣)
1465.大隈重信(肥前藩出身・立憲改進党・東京専門学校・第1次世界大戦開戦時の首相)
1476.青木周三(条約改正・大津事件)
1487.伊藤博文(長州藩出身・岩倉使節団・ドイツで憲法研究・初代内閣総理大臣・大日本帝国憲法・初代韓国統監・安重根に射殺される)
1498.黒田清隆(薩摩藩出身・北海道開拓使勧誘部部払下げ事件・大日本帝国憲法発布時の内閣総理大臣=第2代)
15049.山形有朋(長州藩出身・日本陸軍・「満州は日本の生命線」発言)
1510.松方政義(松形財政・秩父事件)
1512田中正造(立憲改進党の議員・足尾銅山鉱毒事件の解決に努力)
1521.樋口一葉(『たけくらべ』)
1532.夏目漱石(『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『三四郎』『門』『それから』)
1543.森鴎外(軍医総監・『山椒大夫』)
1554.正岡子規(俳句)
1565.岡倉天心(日本画の復興)
1576.フェノロサ(日本画の復興)
1587.陸奥宗光(外務大臣・イギリスtの交渉で治外法権の撤廃・下関条約の全権)
1598.小村寿太郎(外務大臣・ポーツマス条約・アメリカとの交渉で関税自主権の回復に成功)
160.寺内正毅(初代朝鮮総督・のちに首相、米騒動で失脚)
161.安重根(朝鮮の独立運動家・伊藤博文を射殺)
162.尾崎行雄(憲政の神様・護憲運動)
163.吉野作造(民本主義・普通選挙と政党政治を主張・大正デモクラシー)
164.平塚雷鳥(雑誌『青鞜』・女性解放運動)
165.原敬(平民宰相・米騒動後に首相・)
166.西園寺公望(桂園時代・ベルサイユ条約)
167.新渡戸稲造(国際連盟事務次長)
168.北里柴三郎(ペスト菌発見・伝染病研究所)
169鈴木梅太郎(ビタミンB発見)
   志賀芳男(赤痢菌発見)
   長岡半太郎(原子模型)
171・野口英世(細菌学者・黄熱病研究)
1720.芥川竜之介(大正時代の代表的作家)

173犬養毅(護憲運動・五・一五事件)
174高橋是清(二・二六事件)
175近衛文麿(新体制・日独伊三国同盟・大政翼賛会)
176東条秀樹(日米開戦)
177フランクリン・ルーズベルト(日米開戦)
178ハリー・トルーマン(原爆投下)
179ヨシフ・スターリン(ソ連・五カ年計画・粛清)
180パブロ・ピカソ(画家・ゲルニカ・キュービズム)
現代(アジア太平洋戦争以降)
177マッカーサー
178吉田茂
179湯川秀樹
181ガンディー
182鳩山一郎(日ソ共同宣言。日本の国連加盟)
180岸信介(60年安保)
181池田勇人(所得倍増計画)
182浅沼稲次郎
183佐藤栄作
185田中角栄
181三木武雄(三木談話・石油危機)
856毛沢東
187周恩来
188福田赳夫
189細川護煕
190中曽根康弘
188小泉純一郎.)

朝鮮歴代王朝などの覚え方~ごろ合わせで社会科制覇(2) [歴史]

 ごろ合わせで覚えるというのは一種のリズム遊び、音韻あそびでしょう。だから広くとらえれば音楽ブログの中に入っていても許容だと思うんですね。

 平成26年度予算の政府概算要求が報じられました。これを「くーこ、やや 兄(にい)さん」とメロディーをつけて歌ってしまいました。小学校6年生藤組のクラスメイトに、大柄ですこしエッチな、女の子をからかうのが好きな「くーこ」くんがいました。「くーこ」はあだ名です。女の子に興味があったのですからやや兄さん、つまり精神年齢が高かったのでしょうね。そんなイメージは95兆8823億円という、相変わらずの借金予算、防衛費伸張の予算とは無縁なのですが・・・ごろ合わせが身にしみてしまっているのかもしれません。

 さて、朝鮮です。苦戦している中学生、多いでしょう。中学受験をする6年生もこの分野頻出ですから困っていますよね。


 そこでごろ合わせ
 
 「百円高くて新ちゃん。新ちゃん。高くて。チョー大 ショック」。


解題:

「百円高くて新ちゃん」=百済・高句麗・新羅・・・2世紀から7世紀ころの三韓時代です。

「新ちゃん」=統一新羅・・・日本が対立のネタをもちこんだおかげで関係が悪化。遣唐使の航路にも危険な影響が出てしまった、あの新羅です。

「高くて」=高麗・・・モンゴル襲来のとき、戦う気も体力もないのにむりやり日本攻めに付き合わされた高麗。倭寇の被害が甚大でそれが王朝滅亡の一因となった高麗。

「チョー」=朝鮮王国。1392年、イ・ソンゲ(李成桂)建国のところから、以前は李氏朝鮮とか李朝と呼ばれることもあった朝鮮王国です。イ・ビョンフン監督の韓国歴史ドラマ「チャングムの誓い」「トンイ」「馬医」などはみなこの朝鮮王国の時代を背景にしています。

「大」=大韓帝国。1897年、日清戦争における下関条約を受けて国号を変更しました。同条約には「清は朝鮮を独立国と認める」とあります。その実、半島での清の影響力低下をねらったもおのでした。

「ショック」=植民地。日本領朝鮮。暗い歴史です。日本帝国がどのような植民地支配をしたか、ここはしっかり学んでおきたいところです。「植民地の王様は支配している国の乞食以下。いわんや一般民衆が宗主国からどう見られているか。それは差別の構造に他ならない」(小田実)


* この最後の「ごろ」、在日の方々や韓国、北朝鮮の方々のことを考えると、軽率な物言いに思えます。覚えるためには手段を選ばない・・・というかたよりのある見方をさらしているだけでしょうか?

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