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2010年の田老(2) [東北地方太平洋沖地震]

 私の室内楽の師匠はチェリストである。先日のブログでも紹介したので旧聞に属するか、避難所となっている福島市の体育館で演奏をしてきた。今日はヴァイオリンの師匠がいわき市に弾きに行っている。こういう師匠を持つことを誇りに思う。

 私も昔の仲間と義援金を集めるコンサートをやるんだ!と思い立ったものの、もうすでに20年以上ばらばらになった昔の仲間。遠く長野長崎に住む人たちとも連絡をとって日程調整をして、弦楽五部をそろえて・・・とクリアしなければならない条件はことごとく桎梏の連続。まずこの8月21日実施を目指したもののあえなく実施不可能に追い込まれた。

2010_0806_195721-DSCN2916.JPG 8月、と思うとやはり昨年の田老を思う。三陸鉄道の田老駅は岩山にへばりつくように設けられ海からの標高は20mはあるだろうという駅。昭和8年の津波からの復興途上で、復興には鉄道が必要だと唱えられ、JRの赤字線廃止の荒波を越えて、全国初の第3セクターとして開業した。その支援が求められているのは周知の通り。

DSCN2913.JPG 今日、西尾漠氏の『新版・原発を考える50話』(岩波ジュニア新書)を読んでいたら、「田老町は電力会社の原発建設地リストに載っていたが、それを(住民が)はね返した」自治体のひとつとして紹介されているのに気づいた。海と折り合いながら生きるまち、それは一度でも田老を訪れれば実感される。すでにそれは三陸鉄道が田老につかづくときにいくつものトンネルを通りリアス海岸の付け根の山間部を通っているときから予感できる。そして、三陸鉄道が電化されていないのも、過剰な電気を買わなくてはならない束縛から自由だったことをも思わせる。実際、ディーゼル車が津波の被害を受けなかったので、北リアス線山間部の復旧と同時に車両が走れたのだった。

 8月21日の被災地支援コンサートを昔の仲間と相談する中で「義援金が直接届けられる際入りク鉄道支援、というのはどうだろう」という意見も出たのだった。
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