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(3)時計台での音楽会 [苫小牧・積丹・札幌]

DSCN2772.JPG 札幌の時計台を知らない人はいないでしょう。ここは明治初期の札幌農学校の演舞場で、最初は時計塔はつけられておらず、天皇の行幸に際して4面の時計塔をアメリカから輸入して取り付けたというのも周知かもしれません。確かに時計の下に赤い五稜星が埋め込まれています。これは開拓使のマークなんですね。サッポロビールも最初は開拓使が作っていて、五稜星のマークを付けていた。工場が払い下げられたがマークはそのまま残ったというわけです。 

 周りに高いビルが建って、時計台は意外にみすぼらしかったとか、ひどいのになると行く価値がないとまで書いたブログの記事を見たりします。しかし、百聞は一見に如かずですね。

 積丹ツアー・バスの降車場が時計塔でした。ここで今晩は演奏会を聴こうと思っています。降り立つと、観光客らしい人たちが写真を撮っています。撮影用のお立ち台まである(笑)。演舞場の入口を見覚えのある楽器のケースを持った音楽家らしい方々が入っていこうとしていました。思いきって声をかけましたら、やはり今晩の演奏者たちでした。その場でチケットを売っていただきました。開演の7時まで90分くらいあるので、旧道庁庁舎、地元の人の言う「赤レンガ」を訪ねてみました。

 そして開演です。時計台の2階が演舞場です。木のベンチが置かれ200人くらい収容できそうです。天井がなく、屋根の斜面で真中が高くなった空間がいい音響効果を作り出しています。

 文化財の保存をその文化財が本来使われていた姿で、という例は最近増えてきています。私のような東京に住まう音楽好きですと、上野の旧東京音楽学校奏楽堂を思い出します。時計台演舞場の音響効果は上野の奏楽堂よりいいですね。上野の奏楽堂は、ここで演奏したあるオーケストラのメンバーの方から「移築する前の藝大の中にあった時の方がよかった」と伺ったこともあります。ただ、時計台は街の真ん中にあって、外は札幌の目抜き通りです。霧のような雨で道路が湿っているため、タイヤのシャーっという摩擦音がガラス一枚の窓から音響空間に入ってきてしまいます。これは演奏者が気の毒。上野公園の中にある奏楽堂はその点恵まれています。さらに、時計台ですから時の鐘の鳴るときが演奏中でないように、プロビルを工夫しなくてはなりません。

DSCN2779.JPG 演奏したのは「デュオ・ルーチェ」。フルートとピアノのアンサンブルのデビューコンサートです。このお二人は若い女性の音楽家ですが、横浜のリリスホールのレジデントアーティストとプログラムに書いてあります。リリスホールと言えば昨年、畏友大塚紀夫さん作成のバロックヴァイオリンとバロックヴィオラを桐山健志さんが弾いた(チェンバロは大塚直哉さん)ところです。そのことを言いましたら、「ミューザ川崎でもデビューコンサートをやりますのでぜひおいでください」とのこと。残念。その日は仕事でした。

 プログラムは前半がフランス近代音楽、後半がドイツロマン派の音楽、フルートとピアノのアンサンブルは、前半フランシス・プーランクのソナタ、後半ライネッケのオンディーヌ・ソナタがメインです。ここにシャミナードと、リストのシューベルト・シューマンの歌曲パラフレーズがピアノで加わります。このピアニストが札幌出身でした。

 どの曲も丁寧に弾き込まれ、上品で心地の良い演奏会でした。ピアノのふたが全開でしたが音量のバランス感覚がよく、アンサンブルとしても神経が細やかに配慮されていて、それでいてのびやかな演奏でした。

 しかし、私は別のことも考えていました。いろんな時期の演奏~第2次世界大戦をくぐりぬけて巨匠たちの音楽など~を実演やCDで聴いてきた体験のせいか、最近の演奏には癒しや洗練はあってもそれ以外の何があるのか?と疑問になる、ないし居心地があんまりよくないことがままある。今回もそう。「美女と野獣」が藝術だとすると、野獣の部分が感じられない。それは演奏者のせい、というのではなく、結局「演奏行為」が時代の要請に応じて成り立っていくものであるということを示しているのだろう、などと。

 そんなことを思いながら聴いているとはやアンコールが2曲目。「オンブラ・マイフ」!危うく叫びそうになりました。しかし、テンポが速すぎる。なぜ繰り返しに装飾を付けない?どんな譜面を使っているの?と。頭でっかちが音楽を鑑賞するのも考えものですね。






(2) 積丹~春の遅い今年の北海道 [苫小牧・積丹・札幌]

北海道は広い。初めての北海道、フリープランのツアーについてきた札幌フリーパスをうまく使っDSCN2722.JPGてどこを見るか?下手をすると、カーナビ付きレンタカーを借りたとしても、目的地の絞り込みに実感が伴わないことから、移動だけで1日の大半を使ってしまうはめになりかねません。

 そこで、北海道の2日目・3日目は定期観光バスを利用することにしました。今までの経験(遠野・金沢)からすると、比較的目的地でたっぷり時間を取ってくれ、ここぞ、というところに連れて行ってくれるのです。札幌のホテルを早く出て、小樽の街を少し見てから小樽駅前9時35分発札幌中央バスの「春の絶景積丹岬コース」に乗りこみました。レンタカーを借りるより安い7300円です。小樽の街は、朝からの雨もやんで、日差しがさしてきています。

 しかし、向かった積丹半島は、暴風が吹きすさんでいました。途中の奇岩も霧に隠れてよく見えないところがあります。バスはトンネルを通る関係で、海岸ぞいの道から離れることがあります。海岸沿いには、海に近い順に、大正時代に掘られたトンネル、昭和のトンネルと並んでいて、入口がコンクリートでふさがれています。平成のトンネルは山の中をくりぬいているため、山岳地帯にバスが入ると、車窓からは雪の原野やようやく水芭蕉が咲きだす淵が見えたりします(写真参照)。広葉樹の緑の若芽も、桜(エゾヒガンザクラ)の花も蕾もありません。

 積丹半島の突端には二つの出っ張りがあって、東側にある真北を向いた出っ張りが積丹岬です。ここには「日本の渚100景」に指定されているという島武意(しまぶい)海岸があります。ここは大正時代にはニシン漁で沸いていたところで、ソーラン節も響き渡っていたことでしょう。

DSCN2725.JPG 絶壁に囲まれた海岸から男たちが漁に出ます。ニシンを水揚げして魚場(ぎょば)に運んで油をとったりするのですが、波止場から魚場まで山を越えてニシンの入ったかごを背負って歩くのは女や子どもの仕事でした。この難儀な山登りの労苦を少しでも減らそうと、漁師たちは漁のない日々、山に手彫りのトンネルを作りました(写真参照)。真っ暗で人が二人並んで歩ける幅の30mくらいのトンネルを出ると絶壁。白い波頭がそこここに見え、海が荒れているのがわかります。風も強い。晴れていれば積丹ブルーといわれる真っ青な海が拝めるはずでしたが望むべくもありません。雨が降っていないだけよしとしなくては。

 山を降りたもと魚場があったあたりに鱗晃荘という料理屋があります。向かいに郵便局があって、ここがこの地域の中心地なのです。鱗晃荘で出たカニ汁はダシがよく出ていて、カニが柔らかくて手で剥けます。海の幸は大変おいしくすばらしい。昨日(4月29日)はなんとお客さんが二人だったそうです。天気があまりに悪かった。あす(5月1日)は晴れる予想なので、かなり予約が入っているとのこと。

 食後バスは積丹半島を西に進み、カムイ岬を目指します。バスが止まると揺れます!ものすごい強風です。「積丹ブルー・ソフトクリーム(アイスが青い色をしている)」の店も休み。観光客の車は2台あるだけ、そして笹(エゾクマザサ)に覆われたカムイ岬は風速25mもあろうかという暴風です(写真参照)。ものすごく寒い。DSCN2747.JPG
カムイ岬の突端の手前に「女人禁制の門」なる柵があります。江戸時代、松前藩の蝦夷地統治が長くなると、和人が蝦夷内地に入っていきます。そうすると道南の松前では奥地に入った連中の支配ができない。そこで、女人禁制とした。男たちは夏場は漁に行くかもしれないが、冬場になると奥地にとどまっていられず、松前藩の手の届くところに戻ってくる。「女人禁制」は方便だったわけですね。今のはガイドさんの話ですが。しかし、アイヌ語でも積丹は「夏の港」の意味。陸路はなく、海づたいに船を絶壁につけて近づくしかなかったところです。

 帰りにニッカウヰスキー余市工場を見学して6時近くに札幌時計台で下車。そこでフルートとピアノのコンサートを聴き、近くでジンギスカンを食べてホテルに戻りました。北海道の「春は名のみか風の寒さよ」を実感でき、かつ、一日をたっぷり使えて満足でした。

(1) 苫小牧・企業城下町の姿  [苫小牧・積丹・札幌]

DSCN2693.JPG 2010年4月29日~5月1日にかけて、初めて北海道に足を踏み入れました。
連休なのにフリープランのツアーが33000円です

 午後2時に羽田を立った全日空便、札幌上空が強風で羽田に戻ってくることを前提のフライトというので、のっけから悪い予感(笑)。幸い飛行機は揺れたものの無事新千歳に着陸。苫小牧から小樽までが乗り放題のJR札幌フリーパスを受け取って3時45分発の快速エアポートで、苫小牧に向かいます。といっても隣の南千歳で乗り換え。4時2分の普通列車を待ちます。原野のなかを列車はひた走ります。ウトナイ湖から流れ出す勇払川を渡り、苫小牧へ。最高気温でさえ11度。寒風。北海道は寒いです。ホームのエスカレーター乗り口はアルミサッシとガラスで囲まれた部屋になっているし、トイレには暖房が入っています。

 さて、駅前の苫小牧中央交通のタクシー運転手さんに目的地を告げ7000円で回っていただけますか?と尋ねたところ、回れないことはないとの返事。好意(これは後でよくわかりました)に甘えることにしました。

 苫小牧は王子製紙の企業城下町として発展してきました。新聞紙の街ともいわれます。だだっ広い勇払平野の広がる海沿いの街です。ここに1950年代に掘り込み港を作らせ、その入口の一等地を王子製紙が占領しています。貯木場があり、チップを船から降ろしベルトコンベアで工場まで運びこみます(写真は工場に運ばれたチップが左側にうずたかくたまっています。右の緑色をした鉄の骨組みがベルトコンベアです)。埠頭には紙を船で運び出すための丈の低い大きなかまぼこ型の倉庫がいくつも建ち並んでいます。

 
DSCN2701.JPG 紙の加工には繊維をどろどろに溶かすため多量の火力が必要です。かつては石炭を火力としており、石炭の貯蔵広場が残っています。周辺には火力発電所、出光などの製油所があり、さらに宇部セメントと小野田セメントの工場が隣り合って建っています。すべて王子製紙の関連工場です。
 王子製紙の正門に向かう通りは「正門通り」。この通りに入ると急に店が多くなります。その正門通りにそって、アイスホッケーのアリーナがあり、剣道場があり、大きなビルの病院があります。苫小牧市には市立の病院もあるそうですが、設備は王子製紙病院の方が上だとか。かつてはお偉方の使うクラブの建物や迎賓館もあったそうですが、現在は巨大な王子製紙ホテルが建てられその役割を担っています(写真参照)。支笏湖に発電所を作るために作られた軽便鉄道の蒸気機関車と貴賓車(裕仁天皇が皇太子時代に乗った)の展示も道沿いの公園で行われています。

 かりに王子製紙がここから撤退すると、5000人ほどが失業するのでは、というのがタクシーの運転手さんの見立てです。関連産業は町の末端まで及んでおり、トビや塗装工の人たちは駅前工場の30mはあろう、橙と白まだらの煙突の塗り替えをしばしばやっているそうです。街の人や駅を利用する人は目がくらくらし、はらはらして見ているらしい。

 駅から東へ車で20分くらい、空き地の多い工業団地の中を行くとラムサール条約に登録されているウトナイ湖です。しかし、風が強く寒いです。白鳥も湖に入っていません(写真参照)

 苫小牧の港は大きく、北海道の海運荷物の4割をになっています。この北西部に王子製紙などの工場があるのですが、港の南東側は工場の誘致が遅れました。1970年代~80年代にかけてダムを整備し、あらたなフェリー発着場も作り、多くの企業を誘致しようと試みられました。苫東開発です。


DSCN2665.JPG しかし、今や千歳周辺の電子機器の工場の方が繁栄しているというのが運転手さんの実感だそうです。苫東へのお客さんは少ないといいます。船による輸送から航空機の輸送へ。それは重厚長大から軽薄短小への移行という、もうかなり長い期間、日本の産業構造の転換として見られる現象の一例です。そして二風谷ダムの建設でアイヌの人たちは立ち退きを強いられ、沙流川は濁流と化し、ウトナイ湖の環境悪化も心配されるという負の面も残して、おそらくは破たんしてしまったのが苫東開発です。

 およそ2時間、運転手さんは企業城下町、苫小牧およびその周辺の明暗の歴史を知る上で大事なポイントを手際よく回ってくれました。

 今回の旅で最も充実していた場面だったかもしれません。7000円は安すぎました。ありがとうございました。紙面を借りてお礼を言いたいです。

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