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N響C定期ブロムシュテット指揮で [音楽鑑賞]

 現在最も内容のある音楽を聴かせてくれるのが、ヘルベルト・ブロムシュテットだろうという期待のもとに、デング熱を媒介する蚊のいる心配がある代々木公園前を通ってNHKホールへ。

 ハードボイルドな熱狂。

 聴衆がチャイコフスキーの第5交響曲が終わるや否やブラボーの嵐を巻き起こしているとき、私は今日の凝縮された時間の集積に圧し殺されそうになっていた。

 至極まっとうな、テクスチュアを細かく丁寧に描き出した、音符の意味をよく考えぬいた演奏。オーケストラも優秀。均一性の高い音楽を奏でていた。辛口で、超がつくくらい真面目な音楽。

 モーツァルトの40番が前プロ。12型。クラリネットの入った版。

 この曲もチャイコフスキーも対抗配置。私の座ったLB4の座席からはコントラバスを真横から見るので、旋律とバスが一緒に聴こえて、これも音楽の機能が裸で聴こえるような気がした原因かもしれない。遠く離れた第2ヴァイオリンの音もしっかり美しく聴こえてくるのもさすがN響。

 40番は第2楽章が速い。アンダンテ6拍子だが、早足で歩くアンダンテ。全楽章フレージングガ短め。厳しい雰囲気の音楽となった。

 反復は律義にすべて行っていた。第3楽章の繰り返しは、メヌエットの前半を繰り返し、メヌエットの後半も繰り返し、トリオの前半を繰り返し、トリオの後半を繰り返し。ここまでは定石通り。驚いたのは、メヌエットに戻ってから、前半も後半も繰り返したこと。フィナーレも同じ発想で、展開部・再現部を繰り返した。音楽の構造はこうなっていますよ、半音階がこんなに効果的に使われていますよ、と繰り返し丁寧に教えてもらった思い。

 合奏は見事。甘い味わいはないけれど、N響の合奏能力は高くて、快いし、オーケストラに身を置く素人としては羨望である。

 でもハードボイルド。

 ブロムシュテットのつくる音楽から彼が枯れたという印象は与えられない。矍鑠(かくしゃく)というのとも違う。(88歳の老音楽家なのだが年齢を超えている)。ブロムシュテットは1973年だったかにドレスデンシュターツカペレと初来日して以来何回かきいている。もっとふかぶかとした音楽を聴かせてくれる人ではなかったかしら。今日の演奏は、あんまり人々を幸福にする要素に富んだものではない。しかし、40番にはそれがふさわしかったとの想いもある。音量やクレッシエンド・デミヌエンドなどの解釈を施しているのも音楽の厳しさを志向していたと思われたのである。

 NHKホールで。フォルテシモでもホールの空間に音が吸収されてしまって、はねかえってこない。こんなことは私が言うまでもなくみんな知っていることだけれど。

山川『世界各国史(1)日本史』再読・その2;推古朝の評価~ [歴史]

 さきたま古墳群は埼玉県行田市埼玉にあります。埼玉はさきたまと読みます。ここが埼玉の名前の起こりなので、浦和・与野・大宮が合併して新市名になるとき、埼玉と漢字表記することが認められず平仮名表記になりました。

 151文字が金で象嵌された鉄剣が出土した稲荷山古墳もこのさきたま古墳群にあります。この151文字の中に「ワカタケル大王」の文字があって、ワカタケル大王がシキの宮にいた時に、警備隊長としての姓(カバネ)がこの古墳の被葬者ヲワケ一族に与えられていたことも書かれています。

 ワカタケルは『宋書』倭国伝にある倭王武に比定されていますがワカタケルあたりから、ヤマトの王権で王でなく大王と呼ばせる権力が台頭してきたことを物語っています。ワカタケルは『古事記』・『日本書紀』の雄略天皇と考えられていますが、この雄略天皇はきわめて残虐な人物だったようです。もっとも自分の政敵を排除するのに殺害してしまうというのは、奈良時代でも行われていたわけですが、いずれにせよ強大な権力がないと実行もできないし、政敵殺害後に自らが影響力を行使し続けることもできません。

 ワカタケル大王の時代は前方後円墳の時代で、ヤマト王権の時代です。ワカタケル以前はヤマトや瀬戸内、筑紫などの豪族は横一列に近い関係で、一応大王家が真中に立って各氏族に役割を与えていたようです。したがって、中には筑紫の磐井のように反乱をもって抵抗する勢力も現れてきます。ワカタケルのころからは大王家が武力的にも優位に立つよう力関係の変化が起こってきました。

 豪族・氏族のあいだで優位に立つためには、財力と軍事力が必要だったでしょう。また大陸の先進的な技術をもっていることも重要でした。ここで渡来人の果たす役割が大きくクローズアップされます。最も多くの、しかも優秀な渡来人の集団を抱えていたのは蘇我氏でした。蘇我氏は大王家とも縁戚関係を結び、大王家も蘇我氏と共同して自らの権力を伸長させようとします。

 その時期が推古朝にあたります。内外の危機の時代であったともいえます。国内では豪族間の権力争いが頂点に達し、特に蘇我氏と物部氏の対立が激化しました。テーマは仏教の受容をめぐって、です。外からの危機は、分裂していた中国が隋帝国により統一されたばかりか、隋は侵略的な傾向をもっていました。朝鮮半島にも勢力を伸ばそうとしましたから、百済・新羅・高句麗が鼎立していた半島の情勢は一気に流動化します。

 国内では天皇の後継にふさわしい人物が幾人かいたようですが、それらの皇子を押し立てて争っている場合ではない危機が隣り合わせにあった。こういうときは争いをさけるために中継ぎ的な大王を立てるのです。こうして擁立されたのが推古でした。

 推古やそのおい厩戸皇子は蘇我系です。蘇我氏の頭首は蘇我馬子です。この三者が権力の中心になり、大王家を頂点とする、大陸の身分制や法による合理的な支配にならった政治改革が進められるのです。これが冠位十二階と十七条憲法の制定であり、それは同時に氏姓制度の解体を意味しています。ときあたかもその7世紀初頭、巨大な前方後円墳の造営はぱたっと終わりを告げます。このことは全国の首領連合としてのヤマト政権が、大陸風のヒエラルキーをもった政権へと変貌をとげていくことを示してもいるのです。

吉田秀和『フルトヴェングラー』(2)流線形の美と自由「運命」交響曲 [音楽鑑賞]

 今日聴いたのは1943年にベルリンの旧フィルハーモニーで6月30日にライブ録音された『運命』(DG盤)
です。放送用にお客さんのいないホールで録音されたもので、しかも編集で1小節が他の日の演奏と取り換えられているらしいです。

 いま、「運命」を弾いていて、最初の5小節の扱いを再び聴いてみたくなったのです。自著の『音と言葉』で、最初の5小節は全体へのモットーだとフルトヴェングラーが指摘ししているのは、フルトヴェングラーを好んで聴くひとたちはみな知っていることでしょう。

 
 モットーを提示し終える5小節目のDの音を目一杯以上に、伸ばしに延ばし、さらにいったん音楽を切り、非常に自然な八分休止符(!)へと流れていき、その6小節以下は快速テンポで一気に音楽が推進していきます。各楽器間の受け渡しもアーチを描くように淀みなく行われます。流線形の美を見る思いです。

 フルトヴェングラーの演奏に「精神と官能の同居」を指摘したのは吉田秀和先生です。今日の私は、この43年盤に、官能が満ちているとは思わなかったが、天才的な音楽家が旋律美を創造していく現場の感覚を十二分に味わった気がします。

 しかし、このモットー性が一番切実に感じられるのは再現部冒頭でした。

 再現部の5小節は、それまでの快速調からなだれ込むように始まります。停滞を思わせません。にもかかわらず、巨大な壁が現れたような存在感で示されるのです。テンポがあきらかに変化しているのですが、まったく不自然さがありません。これは提示部冒頭でのモットーの提示が迷いなく確信を以て明確に把握されているだけでなく(一小節目1拍目の裏拍のGのアインザッツがあってないとか音が4つ聴こえるとかの形而下(!)レベルの問題ではなく)、かつ聴き手の心の奥にしっかり刻みこまれるほかない演奏になっているからでしょう。

 そして、再現部のモットーに続く部分。ここでのアッチェレランドは凄まじいが、必然を感じさせます。流動性と推進力は素晴らしく、一気にフィナーレまで持っていかれてしまいました。第3楽章でのモットーの出し方も、くっきりしています。この「タタタ・ター」、シンドラーが「運命はかく戸をたたく」と伝えるモットー、これは初期・中期のあらゆる楽聖の作品にあらわれるもので、楽聖の傑作は多かれ少なかれこのイメージとの心理的闘争が見て取れるという指摘があります。「運命」交響曲は全面的な闘争ですね。

 そしてフルトヴェングラーはフィナーレを思い切った造形とテンポで生み出していきます。「バイロイトの第9」かくやの、コーダでのアッチェレランド。これはすごいですが、ベルリン・フィルが一糸乱れず充実した音を作り出しているのにも驚きです。ただし、コーダの最後の最後は大見えを切るような具合になっていて、バイロイトの第9のように駆け抜ける演奏ではありません。ここでもテンポ設定も天才的で、フルトヴェングラーの自由さが作品の内なる声にこたえたもののように聴こえます。

 きわめて充実した演奏で、33分ほどの演奏時間が短く感じられることはいうまでもありません。

山川『世界各国史(1)日本史』~縄文時代再読 [歴史]

 学びて時にこれを習う、また楽しからずや

 山川出版の世界各国史第1巻の『日本史』を再読しています。読み飛ばしていたないしは気付かずに通し越していた記述が目につきます。
 
 たとえば、縄文時代です。「戦前からの4区分に草創期・早期を加えただけの区分になっていて、十分科学的・体系的と言えない」の指摘があります。縄文時代の終わりをどう見るかについても突帯文土器に注目する見方が提示されていますが、これもすっかり忘れていました。縄文期の稲作をどう評価するかについても、本書では、慎重、ないしは保守的な見解を示しています。

 三内丸山遺跡の評価についても、1500年の定住期間を通して500件の竪穴住居の跡が確認できるのであって、「一時期の集落数は20~30軒であろう」とする評価には説得力があります。ともすると縄文時代の大都市的なセンセーショナルな伝えられ方をする同遺跡、学問的に冷静かつ多面的なな見方を振りかえる必要を感じます。三内丸山は縄文時代の交易の幅広さを物語る証拠でもあるのですから。

 縄文時代は定住生活の形で、約1万年続いたのですが、それは食糧が豊富であり、あるいは、森を焼いて、畑作をしていたことにもよります。三内丸山での栗の栽培についても本書では紹介しています。しかし、一方で10000年の間狩猟・採集・小規模な栽培農耕の段階から抜け出せなかったのはなぜだろうかという疑問は当然生じます。本書ではその解答の一つとして自然災害を挙げています。今年の2月関東甲信越を襲った大雪や、夏の広島を襲った土石流。縄文の集落の発展があると見るや、自然の猛威が襲いかかる。

 広島の災害のニュースを見るにつけ、本書の指摘が適切なものと思い起こされます。

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