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悲愴覚え書き(2)カイロでのフルトヴェングラー盤 [音楽鑑賞]

 久方ぶりに「悲愴」のCDを棚から出してプレイヤーにかけてみると、1951年の録音とのクレジットがある。

 かなりフォルテで音が割れる録音なので、1938年のSP復刻だとばかり思っていた。そうではなくて、カイロでのベルリンフィルを振ったライブ盤を持っていたのだった。ちゃんと咳の音も入っている。今日の今日まで気がつかなかった。はずかし。

 傲然たる演奏。最強音が割れてしまうのはいたしかたないが、それでもティンパニの有無でニュアンスが違う。デュナーミクには相当の工夫があるようで、クレッシェンドした頂点の音符にアクセントをつけて弾かせているところ、そうでないところ、頂点の音をねばりぎみに弾かせているところなど、意味づけに細かい違いがある。もちろんそれが、計算から出てきているのとは対極にある運動性・流動性があるのはいうまでもない。

 16分音符で音階を上下する部分が頻出するが、音階には和声がついていて、ユニゾンではない。この駆け上がったり駆け下りたりするパッセージに与えられたエネルギーが半端でない。とくに第3楽章。この楽章では主題が曲の経過にともなってすこしずつ全体像を見せていくように書かれているが、いよいよ最後の部分で主題が全貌を現す場面では、その直前にルフトパウゼを置き、そこで音楽の背筋がキリッと姿勢を正すように再現している。これが新鮮。

 第4楽章の第2主題のじょうじょうたる心の込め方には深い理解が込められている。おしむらくはやはり最後近くでの盛り上がりの場面での音がダンゴになること、そして最後の最後のピアニシモでの曲を閉じる部分がよく聴き取れないことである。

 全体の形式美をうちたてながらもドラマティックな演奏。フルトヴェングラーは、やはり、すごい。

 録音はすこしハイを強く出したもの。中音域の木簡はよく採れているのではないか。中音域といえばヴィオラやチェロの対旋律も聴きとれる。ただしそれらのパートを雄弁に語らせる演奏ではない。
 

再びネヴィル・マリナ―体験・・・「極めて繊細に細工された芸術家の血の通う水晶細工」 [音楽鑑賞]

 ドヴォルジャークの7番・8番。

 もう8番の曲の素晴らしさを余すところなく描ききって、第2ヴァイオリンやヴィオラ・低弦に演奏の喜びをふんだんに気付かせて弾かせる手腕!上品な仕上げだけれど、ここぞという迫力、フィナーレに頂点を持ってくる構築性への慧眼!
 
 フィナーレのテーマの提示は3楽章からのアタッカであったが、ぐっとテンポを落として始まる。過ぎ越し人生をしみじみ振り返る趣さえあった。心にグッと響いてきた。

 そしてこの曲の(フルトヴェングラー・シェンカーがいう)「遠聴」として長三和音(ときに短三和音にも変化)があって全曲をを統一していること。ヴィオラが長三和音から裏の旋律に入っていくところの指示をマリナ―は実に明確にやっていて、リハーサルで楽員に曲を分析しながたリハーサルを進めている様子を想像してみたくなった。きわめて繊細だがおおらかで神経質ではない。89歳のマリナ―はやはり彼の原点を堅持しているマリナ―だった。

 第3楽章は繊細。割合に速めのテンポであっさり。

  旋律が与えられているパートの歌心もたいたもの。金管が咆哮しても、弦楽器の動きは明晰に聴こえる。この弦楽器を基調としたオーケストラの音の厚みもすばらしい。極めて上質な繊細に細工された水晶細工。それも芸術家のぬくもりまでが感じられるもの。

 このところ音楽学生のオケやアマオケを聴く機会がおおかったのだが、改めて、アマチュアも音大生も、N響と言わず、プロオケを聴いて自己を啓蒙しようと言いたくなった。
 ただ、私の席(R4-6)からは少々フルートが弱く聴こえた。そして響かないホールのせいか、FFが硬い音圧が一気に攻めてくるように聴こえた。

 来週にあるBプロはオール・モーツァルトである。最上のモーツァルトが響き渡るのだろうな。

佐村河内氏プロデューサー説 [音楽鑑賞]

 佐村河内守氏の交響曲「hirosima」やその他の曲の大多数を18年間にわたり、新垣(にいがぎ)隆氏が音に具体化し、オーケストレーションしてスコアにしたという。これが明るみに出て、多くの人の耳目を呼び寄せたようで、普段現代の作曲家のことなど取り上げっこない新聞までもが記事にしています。

 私は新垣氏が記者会見での質問に答えたように、お二方とも共犯者と思います。また、広島の被団協の方が、彼の広島の犠牲者への想いや平和への思いまでもが疑わしいものとなってしまうのではないか、という危惧を述べられていらしたが、それもその通りだと思います。私は長崎証言の会とすこしかかわりがあって聞き書きを執筆したこともあります。そういう立場からもたいそう残念なことと思います。

 これは音楽自体の問題であるとともに、作曲家が生計を立てていくというきわめて即物的・社会的問題でもあります。偽作というなら当然倫理的な問題でもあるのです。

 しかし、私が注目したいのは佐村河内氏が新垣氏に渡した「現代典礼」のグラフィック譜に注目したいと思います。このグラフは時間の経過とともに音の高さや大きさ、厚みがどうあるべきかを中世以前のネウマのような要領で示しています。さらに、全体の調性については二短調から無調へとの書き込みも見られます。
(話が横道にそれますが、二短調はレクイエムの調性。他人の曲を自分名義で演奏というのはモーツァルトのレクイエムにおけるシュトゥパッハ伯爵を思い起こさせます。佐村河内氏のグラフ譜にもモーツァルト風にというイメージ指示があったそうですが・・・)


 具体的なモティーフやテーマこそ記譜はされていませんが、曲をどう運ぶかのプランはかなり具体的です。頭の中に「現代典礼」のかなり明確なイメージがあったことはたしかです。

 図形楽譜を書いてそれを演奏者が見て弾く場合も、現代音楽では珍しいことではないのです。ですから、報道で「佐村河内氏はオタマジャクシを書けない」とか「ピアノも弾けない」などと揶揄するのは見当違いです。

 音楽は再現芸術であることは言を俟たないでしょう。オーケストラの総譜を音にする指揮者も自分では楽器を弾きません。佐村河内氏に近い行為をしていたという点では、ウォルター・レッグ、ジョン・カルショー、ジョン・マックルーアやデヴィッド・ジョセフォヴィッツらのことを連想します。彼らはプロデューサーです。そうそう、エリック・スミス(エーリッヒ・シュミット)は父であるシュミット=イッセルシュテットとウィーン・フィルにテンポの指示を出していました。「田園」です。「もっと速いテンポで!」

 彼らのプランなかりせば、フルトヴェングラーのEMI録音はなかったし、ウィーンフィルによるベートーヴェン交響曲全集も「リング」全曲録音も、ブルーノ・ワルターとコロムビア交響楽団のステレオ録音も、シューリヒトらの最晩年の演奏記録も残らなかった。彼らの行為は音そのものの再現ではないけれど、再現の周辺として極めて大きい役割をもっています。レコード史や実際の興行で、プロデューサーの役割が高く評価されるようになったのはごく最近のことだと思います。

 佐村河内氏のグラフ譜をみていると、そういうアナロジーを連想します。 佐村河内守プロデュースで、すこしも恥じることはなかったのに、とも。

 全ろうとか被爆者2世とかのレッテルがないと売れない、というのは逆にいえば、売るためには嘘いつわりもやむなし、ということになり、これは倫理的・道義的に問題でしょう。CDを売ったり興行を成功裏に終わらせるための商業主義的圧力が作曲者=プロデューサーの良心をゆがめたということなのかもしれない。CD会社のホームページには、「記譜行為を他人の手で行った」とあって、剽窃のニュアンスはほとんどなく、あまり悪いことをしていないような書き方になっています。会社の責任をあまり重く感じていないということの反映なのでしょうか?

 しかし、音楽や演奏に社会性を盛ることについてはあっていい。かつて、ツイメルマンがイラク戦争を非難するメッセージをリサイタルのステージで言った。私は理解を示します。

 これは音楽美学の問題ですが、純粋に作品だけで音楽は自立していると言い切れるわけではないのです。

 形而下の現実問題として、商業主義・音楽産業を離れての音楽家の生計も考えられないのです。18年間で720万円・・・

 今回の出来事は音楽をとりまく様々な問題点に気づかせられる意味で、示唆に富むものでした。

 佐村河内・新垣作品を聴く機会は当分なさそうです。ほんとはこれらの作品の生演奏を聴いて批評を試みてみたかったのですが。聴けば、演奏者の渾身のパフォーマンスで心が揺さぶられるたのではないか、と想像したりしています。

ベアトゥス黙示録写本挿絵 [歴史]

黙示録に取材したこわい音楽作品もあるにはあるが、リアルな怖さを訴えるのは絵画が優れているように思われる。

ベアトゥス黙示録に次のような物語が出ている。

私は海から上がってくる獣を見た。
それは10本の角と7つの頭があった。
角には10の王冠をかぶり、それぞれの頭には神を冒涜する名がつけられていた。
竜は獣に権威をあたえたので人々はこの獣を崇拝した。

ベアトス黙示録ファクンドゥス写本.jpgこれをインキュナビラ―で書き、見開きのページ全部に挿絵が描かれている。中世美術の粋と評価されているものである。かなり忠実に黙示録の内容を描き、色面構成の卓抜さと積載の選び方の鮮烈さで、現代のわれわれの美意識を十二分に刺激する。写真はファクンドゥス写本と呼ばれる本の挿絵である。


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