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現代音楽のコンサートに行って(2) [音楽鑑賞]

 学生時代に国安洋先生の授業(藝術学)で出された「現代芸術について」のリポートが出発点になっているのだろうか、好きこのんでいっているとはとうてい言えないのだが、現代音楽の演奏会に結構足を運ぶようになっている。個人的な勝手な嗜好をいってよいならば、19世紀のオペラよりよほど現代音楽のコンサートの方が面白い。モーツァルトのオペラとなら、比較にもならないないけれど。

 昨日(2013.11.9)出かけたのは国立音楽大学の企画「聴き伝わるもの、聴き伝えるもの」の第8夜「日本の協奏的作品の地平」。5曲聴いて会場(国立音楽大学講堂小ホール)を出た時、心が洗われた思いがした。音楽会を聴いて「やはり生はいい」とはよく耳にする言葉だが、現代音楽のコンサートであってもそれは同様である。作曲者自身が二人、ほぼ満員の会場を満たす拍手に応える「いま」に立ち会ったことも大きいのかもしれない。

 曲は武満徹の実験音楽「七つの森の出来事」、挟間美帆のマリンバと室内アンサンブルのための「Delta Librac」の世界初演、川島素晴「ある森の出来事」~クラリネット独奏と10人のクラリネット奏者のための。これも世界初演。休憩をはさんで細川俊夫「中間地帯」ハープと室内アンサンブルのための(1994年)、北爪道夫が高名なクラリネット奏者の父、北爪理世氏の晩年のために書いた「クラリネット協奏曲」(2002年)。どれも編成が独自で、この多様性と適度な短さ(すべての曲がほぼ20分以内)が飽きを呼ばない。

 武満作品は7本の脚立をひもで結びつけていく行為と、7つのうち3つの脚立に登っていろんなしぐさをしながらピアニカで単純な旋律を吹く人の動きが、鳩が飛び出す手品に誘導されて始まり、布が手の中で羽になる手品でとじられる。ひもの結びつきが世界の結びつきのようにも見えるし、手品が各国の政治の劇場性・虚無性を示すようにも見える。曲が作られた1966年は北爆が拡大する時期だった。文明批判の臭いをかぎつけた私の感想はあながち遠くないのではと思っている。

 挟間作品はマリンバがともかく上手い。川島作品は行動しながら演奏する美学にもとづいた作品で、ソロクラリネットが10人のクラリネット奏者の中を歩き回って、あるいはクラリネットで挑発したり、おんなじような曲想を吹いたりする。見ていて面白い。どこで何が起こるんだろう。

 細川作品は我々の持っている現代音楽響きのイメージに一番近いのではないだろうか。そして、北爪作品はクラリネット・ソロに弦楽合奏(6-6-4-2-1)とホルン一本、ピアノにハープという室内オーケストラのための作品。保守的な楽想ではないけれど、編成がクラシック音楽とのつながりをしめしていて、理解の助けになっている気がする。オーケストラにN響ハープの早川りさこ氏が加わっているのでびっくりした。ゴージャスメンバー!

 早川氏は国立音大の先生なので、クニタチ・フィルで弾いているのですね。父親がかつて東大オケを永く振っていた早川正昭氏で、氏が東大オケの定演の最後の恒例番外「歌声響く野に山に」を大きな身振りで振っていたことをふと思い出しりもした。それもこの音楽界に誘発されたのしい思い出である。1970年代のことだけれど。
 
 

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