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地理教育を考える(2)景観と地理・その2 [教育]

 地理教育の上で、景観と地図の重要性について異議を挟む余地はないと思われます。それは、地理的な見方を私たちが生きていく上に応用していく出発点といえるもののではないでしょうか。

 たとえば、秋田県大潟村の地形図を見てみましょう(国土地理院の電子地図ポ-タルのサイトに行けばパソコン上で地形図をみることができます)。一面、田の地図記号が広がり、整然と農道や用水路が交差しています。意外なことに、畑の地図記号も荒れ地の地図記号も目立ちます。-2などの標高表示から、ここが海面下であることもわかります。

昔の八郎潟地図.jpg さらに、歴史の古い小学校や中学校、塾・予備校には授業で黒板の横にかけて使う大きな巻物のような掛図の地図があると思うのですが、東北地方のそれを見ると、男鹿半島には大きな湖がひろがっているように描かれています。1957年までは面積日本一だった八郎潟です。


 ここに『消えた八郎潟』という写真集があります。モノクロの写真が多数収録され、うたせ漁や帆船、刺し網、雪に穴をあけて魚をとっている様子などが多数収録されいています。広々とした湖面に夕日が反射する写真もあって心がゆっくり広げられる感じすらします。八郎潟地引網.jpg

 この写真集をめくっていくと、堤防が築かれ、パイプとポンプで八郎潟の汽水が日本海に捨てられるようすを写した写真が出てきます。さらにめくると見開きのページにかつての湖底がひろがり、貝殻が一面に散乱している写真が。

 陸地にトラクターが入り、巻末には豊に稲が実った写真が現れ、その少し前には八郎潟干拓を指導したオランダ人ヤンセン博士が現地での式典に出席し、謹厳な表情で胸に勲章をつけてもらっている写真も収録されています。みごとな写真記録です。

 こうした地形図や景観の写真を見て、まずどんなものが写っているのかを観察し、どんな情報が引き出せるかを考察します。そのとき相互に関連させて考えると、たとえば、「食糧不足を解決し、将来の手本となるような大型機械を導入できる農村づくりが目指されていたが、その後の社会状況の変化で、現在は耕作放棄地や畑作への転換も進められている」という、日本の農業の変化を典型的に示す資料として捉えられるでしょう。

 こうした考察に至るには、地理的な知識の蓄積が不可欠です。また社会現象を有機的・統一的ににとらえようとする一種哲学的な発想の訓練も要求されるでしょう。景観を写真で切り取ってみることを入口に、掘り下げていくこと、これは地理の授業を通じて追及されるべき大きなテーマといえると思います。

 

地理教育を考える(1)景観と地図 [教育]

 子どものころから地理が好きでした。高校の地理授業では毎時間のように質問をしていたらしいです。定期テストで同じ点だった大倉君(仮名)と通信簿の評価が違ったので、彼は納得いかなかったらしく、地理の室谷先生のところに私を引き連れて直談判に行きました。大倉君も地理が好きでしっかり勉強して自信をもっていたのでしょうね。室谷先生は閻魔帳をしらべて「平常点がケリーの方がいい。質問してるのが評価に加算されている」と仰いました。

 室谷先生の授業ではコンターワークを地理実習室でやったことが強烈な記憶です。地図学がご専門だったのかもしれません。そして地理学はカール・リッターとアレクサンダー・フンボルトとの流れの融合であるという説明、つまり人文地理と自然地理の両面に目配りして調査研究していくものだというのも強烈に覚えています。

 ところで、高等学校では社会科の教員として地理学専攻の人が不足しているという話を聞いたことがあります。私の通った大学では地理学科は文学部にありました。理学部にある大学もありますね。文学部地理学科なのだが教職課程で所定の科目の単位を取って教育実習をすれば理科の教員免許も取れることになっていたと思います。対象とする幅が広いのですね。逆に専門性がここにある、というものを絞りづらい学問なのかもしれません。

 私は中学生の子と話をする機会が結構あるのですが、「世界地理詰まんない」「世界地理点取れない」という話をよく聞きます。中学校の時、地理の蔵方先生が文部省研究員として短期海外派遣され、帰国されてから現地でご自身で撮影されたスライドを見せながら授業をしてくださったのが忘れられません。地理学習の種発点に「景観」があると考えるからです。とくに自然地理分野での景観を切り口にした学習は不可欠でしょう。人文地理分野でも集落の様子や工業地帯を俯瞰した写真、貿易港の写真など、景観を知ることがその場所での具体的な人々の活動を考えていく入口や資料になっていくはずです。

 ですから、中学生の子たちに「先生はいろんな画像とか見せてくれる?」ってよく聞きます。見せてくれる先生も少なくありません。単に白地図出して都市名入れて、さかんな産業入れて・・・だけの授業にはなっていないようです。もちろん景観の提示だけで地理学習が終わるわけはありません。

 文系の学習では資料の渉猟が極めて大事で、いろんな資料をめくって調べることが不可欠です。とくに地理の場合は教科書の学習と地図帳での学習という二点セットでの学習です。これは小学校・中学・高校での他教科と最も違う点です。これも小さい時から習慣づけておくとおかないとでは、高校生くらいになるとかなりの差がつくように思われます。たとえば景観を形成する要素を地図で確認するとか、景観を地図にあたってより詳しく把握するとか、地図帳の巻末にある資料をつかって、証拠づけるとか、いろいろな活用法があるはずです。冒頭に述べたコンターワークも等高線を色分けしすることで、土地利用の法則性が見えてきたりしそうです。

 景観と地図の利用だけが地理学習の鍵ではありませんが、地理に親しみをもつために重視すべき分野であると考えます。

ディソナント・アンサンブル5月15日練習レポート [弦楽合奏団ディソナント・アンサンブル]

ヴァイオリン1・2・チェロでの分奏的練習。

 第2楽章→第3楽章→第4楽章の順に練習箇所を決めながら行う。

 2楽章はかなり聴きあえるようになった。再現部後半が難しく、消化不良。

 第3楽章はユニゾンの音程がかなりひどい。一音ずつ音を確認しながら練習すると、確かに改善されるが、仕上げに、と、楽章全体を通して見ると、語尾に近づくにつれ、意識の統御が希薄になり音程が悪くなる。多分に集中力の問題。メンバーのコンディションが良くないのも理由のひとつ。
 トリオの後半は止まらず、ずれずに通るようになって、進歩がみられた。

 第4楽章は257小節(再現部第2主題が出てくる直前)までで時間切れ。課題は展開部の60余小節。しっかりさらってくることを確認。次々に転調する部分なので、調性のアナリーゼを各自やっておくことが望ましい。展開部に限らず、半音階で動く部分を音程正しく弾くことも課題。

 練習終了後メンバーは異口同音に「充実していたね!」。継続の力が少し見えてきたかな?

現代音楽のコンサートへ行って [音楽鑑賞]



 いささか旧聞に属す記事をようやくアップする。昨年(2012年)はジョンケージとコンロン・ナンカロウの生誕100年ということで、その記念演奏会が国立音楽大学であった(2012年11月10日)。企画は作曲家の北爪道夫氏。山口博史氏の委嘱作品が初演された。板倉康明氏指揮クニタチ・フィルハーモニカーの達者な演奏。

 最初にケージの 植物による合奏「」が演じられたが、これは仕事の関係でコンサートに遅刻して行ったので見られず、聴けずでざんねんだった。いわば汎音楽の作品で、高度な作曲技術で作られた「藝術音楽」を高度な技巧を習得し日々磨きをかけている「演奏藝術家」が弾くものだけが音楽ではない、4分33秒で見られるように無音のピアノの前や周りで発せられる音までも音楽と把握しようというのがケージの思想であることはよく知られているのではないだろうか。「  」は植物の葉のそよぎやサボテンの針をはじく音を増幅した音などが時間の中で生起する作品だったらしい。

 私が会場に着いたのは前半最後の曲で 氏に委嘱された「ジョンについてニュースがあります」から聴けた、ここでいうジョンはもちろんケージのことで、ケージへのオマージュで作られた、いろんなエネルギーの展開が同時進行する、一種のシアタ-ピースである。

 舞台にはスクリーンが置かれそこにツイッターの画面が写しだされる。ハンドルネームは「陽気な未亡人」である。そのツイッターに次々と答の出ないあるいは答をはぐらかされる禅問答みたいな、しかし平易な「ジョンはどこにいるのでしょうか。ツイッターの中にだけいるのですか。さあ、わかりませんね」のような言葉が次々と映し出され、詩人の一色真理氏がそれを読み上げる。

 それと同時進行で、スクリーンの裏には板倉康明氏指揮の器楽奏者たちが速い動きのぶつかり合う複雑な音を周期的に合奏し、舞台上手のグランドピアノの前には作曲者がいてときどききれいな単音をいくつか連続的にゆっくり鳴らしてから不協和音をたて続けに鳴らす音楽を弾く。

 途中から真っ赤なドレスを着た斎藤淳子氏が舞台の壁沿いに現れ、寝転んだりスクリーンに自分の影を映したりして踊る。その進行はだいたいツイッターでの禅問答と並行している。

 全部で10の部分からなる曲だという作曲者の解説があったが、そういう楽式的な聴き方を作品の方が排除する。やはりあまりに18・19世紀的な音楽とかけ離れている意外性を受け止めるのに聴き手は精いっぱいである。しかし、発想やツイッターへの書き込み文句は面白いので、会場からかすかな笑い声さえ聞こえる。初演が終わってからの拍手は温かく、現代音楽の実験性などということばすらもう古いのかなとの思いが誘発された。
 

 後半はナンカロウの作品とリゲティのピアノ協奏曲。ともにポリリズムの作品で、リズムについていこうとすると目まいがして猛烈に意識を疲れさせられる。音色の奇抜さがかなり狙われていて、それを楽しむ聴き方もあるのだろうが、結局理解した実感が得られないままで音楽会は終わった。

 ポリリズムの演奏はきわめて難しく、研ぎ澄まされた訓練を経た現代音楽プロパーの演奏家でないと弾けないだろう。

 ケージらの汎音楽につながる思想と、実際にきわめて演奏も理解も難解な作品をならべられて、現代のもつ大きな混乱を思わないわけにはいかなかった。まだ現実の方が、たとえば現代日本の保守化の要因が結局は資本の論理やアメリカとの関係から説明できるであろう(実際そういう説明を本や新聞で読むことができる)ゆえに、見通せる気がする。

 すると、20世紀に藝術は人間性や美を超え真理の世界を啓示する方向で進化をしたという理解に立てば、今日の国立音大での音楽会も、その一端を垣間見させるものと言えなくもない。難しいといえば難しいが、楽器や声楽で演奏されるルネッサンス・バロックからバルトークやコープランドや武満さんくらいまでのような器楽や声楽でやる音楽だけが音楽だけではない。天空のハルモニアが音楽として古代中世には認識されていたのであった。星空が音楽。そういえば 初演の山口博史氏の曲、「最後の部分は星座表を音楽にした」と作曲者が説明していた。

 学生のとき藝術学のリポートで「現代芸術について」の題名で、演奏機会が増えれば現代曲もベートーヴェンのように聴かれていく可能性があると書いたことを思い出した。今日の会場はいつになく聴衆が多く、熱気がこもっていた。すくなくとも実験としてではなく、鑑賞対象として現代音楽があるべくしてそこにあるという現場を見聞してきたと思う。ベートーヴェンのように聴かれていたか、という問いには難しくていまここでコメントは述べられないが、答はださずとも良いのだろう。

 いろんな体験が我々に問いを発するが、すべてのものが答の出る問いではない。そして考えてみること自体に意義があることだってある。そういうことを顧みさせてくれた会だったのかとも思った。

中高生のオーケストラを聴く [音楽鑑賞]

 30年ほど前に日本フィルがフジテレビに財団を解散させられ、日本フィルを支えようという市民の運動がおこったことがあります。音楽の底辺拡大、市民の中に音楽家が入っていく、地域に根差した音楽活動をなどがスローガンのように唱えられていた時代です。私自身も日本フィルの支援をして地元にメンバーのクワルテットを呼んで「アメリカ」とか「チャイコフスキーの第1番(アンダンテ・カンタービレが第2楽章)」を弾いてもらったりしました。また地域に音楽会をと、市民が自由に使えるピアノが一台もないなかで多くの音楽会を開いてもきました。地域での種まき活動に青春の多くの時間を割いたのでした。

 時間が経過して、いまや東京では一つの街に2つの市民オーケストラがあるような状態になっています。大学の中には学部ごとにオーケストラがあるものも。東京のアマチュアオーケストラで名前が把握されている団体は300以上あるようです。多くが専門家の先生の指導を受け、土日をアマチュアの指導を掛け持ちし食べている指揮者もいるとか。それはともかく、専門家の指導を受ければ当然楽団の演奏レベルは上がります。ひと月ほど前八王子フィルの演奏を聴いた(八王子オリンパスホール)が、最初の「レオノ―レ序曲第3番」で低弦から風のようにふわっと音が伝わってきたとき、これがアマチュアの演奏であるとかはどうでもよく、「ああ、生演奏の空気感はたまらないな」と思えました。

 当然のことながら大学のオーケストラの質の向上は目覚ましく、ほとんど破たんを見せない団体も多いです。今日(2013.5.4)聴いたのはさらに年齢が下がって中学生・高校生で構成されるオーケストラです。指揮者の先生に私は市民オケでお世話になっており、楽団にはよく知っているお嬢さんも所属しています。K学園のオーケストラ。東京では有名な女子の進学校で、全校生徒は中学高校で900人足らず。うち100人がオーケストラに所属しているという驚くべき学校です。(だからティンパニなどは楽章ごとに奏者が違い、音色も違う。)オーケストラにあこがれてこの学校を受験する子も多いとか。このオーケストラは若々しくて力強いというより、理知的で繊細な演奏をする団体です。LP時代のアンセルメ指揮スイス・ロマンドの系統。

 しかし、「耳が肥えている」とよく人様からおほめいただくのを自慢する気はありませんが、もし「耳が肥えている」のならそれも幸福なことではないかもしれません。自分がオーケストラで弾いていることもあって、キズを聴いてしまうのですね。今日のK学園のオーケストラでいえばフレーズの最後を長く伸ばす音での音程の悪さが耳について、どうして自分の出している音を微調整しないんだろうという思いを最後まで引きずってしまいました。
 
 さらに音が小さくて。チャイコフスキーのフォルテ3つの指示はもっと生かしてほしかったし、スラヴ的なイメージや過酷な運命との相克のイメージから遠いのです。たとえばヴィオラが12人もいるのに、出てくる音はとても繊細。主旋律が弦にあるのに、管楽器の和音で消されてしまっている場面も多くありました。そしてヴァイオリンに限って言えば、前の3プルトの音は目立ってよく聞こえるのですが、後ろの方になると弓は確かに動いていて、ピチカートもはじかれているのに、音よりも動きの印象が強いのです。たとえばチャイコフスキーの第5シンフォニー第1楽章第1テーマの裏、半音階の加工でピチカートを受け渡していく部分など、もっと面白い音楽なのにどうしてそれを表に出して楽しまないのだろう、という思いがわいてしまいます。まじめなお嬢さんが多くて、正確に正確にという思いが先に立っているのでしょうか?クラシック音楽(は硬い)という思いが強いのでしょうか?

 指揮の先生と終演後話したところ、ヴァイオリンの前の方のプルトは、この演奏会で引退する高校3年の子たちで、「自分たちの演奏で音楽を再現しないで誰が音楽をやってくれるんだ」「自分たちがオケをひっぱらなくては」という意識が他の学年の子たちとは違うというのです。いくらヴァイオリンを小さい時から習っていて達者に弾いても、作品の中を生きて再現していく力が演奏に出るわけではない。」とも。音楽は再現芸術です。その音楽の世界を生きるという意味が、「これが最後だ」という場面に向かい合った若者たちによって自覚され実現されているのを見た。聴いた。そういう体験を私はしてきたというわけです。これは目覚ましいもので感動的です。

 話の順が逆になってしまっているかもしれません。キズが目立のはいい面の方が多いからですね。たとえばテーマの歌い始め方がなめらかで繊細。そしてクレッシエンドしていくときに全員が一丸となって気持ちを込めて盛り上がっていくのはほんとうにこころよい体験です。指揮をすごくよく見てます(私などは楽譜にかじりつきっぱなし)。指揮の先生は「練習中、そんなに見つめないでくれ(爆笑)」とよく言うらしいです(笑)。たのしそうな練習風景が思い浮かびます。

 そしてなにより、選んでいる曲が「薔薇の騎士」のワルツ、武満徹の映画音楽のワルツ、ラヴェルのラ・ヴァルス、そして第3楽章にワルツをもつチャイコフスキーの第5番。ラフマニノフの第2交響曲第2楽章が長大なアンコールです。これはすごいレベルで、これを消化しただけでも称賛と脅威に値します。楽器を中学校から始めた子の方が多いのです。5年間でこのレベルというのは驚異的で、これを育て上げた先生方の手腕とお嬢さんたちの勉強と両立させての努力はすばらしいです。

 私がよく知っているお嬢さんもよく弾いていたのですが、きのうは全国模試、演奏会の後は塾で受験勉強。

 こういうひたむきな若者たちに大人世代は幸福な未来を提供できているのでしょうか。原発事故やら憲法改正の動きやらを考えました。袋小路に話を持ち込んで大局や未来への展望を示さない大人たち。未来の世代に核廃棄物やら膨大な借金を残すが、その責任の所在はあいまいにしてしまう大人世代。自分を含めたありかたまで思いが及びながらの帰途は重い足取りとなっていました。
 
 ごくろうさま。

充実の「ディソナントの集い・2013春」!! [弦楽合奏団ディソナント・アンサンブル]

ハイドンセット初版表紙.jpg

 弦楽合奏団ディソナントアンサンブルにつどい・つどった音楽仲間たちが、年に一~二回集まりをもって、主にモーツァルトの曲を合奏する「ディソナントの集い」。春の「ディソナントの集い」は今年で3回目になりました。

 今日は鎌田浩史先生を迎えての公開ワークショップです。もうディソナントとは30年来のお付き合いである高麗仙人さんの合奏リードがすばらしかった!アンサンブル多摩の主力MKさん、ケリー、ピクト熊氏、くまくんの手仕事さんがヴァイオリン。トッシー・ハール・シューリヒト氏は徹夜続きの仕事でくたくたになっているところの出がけに、弓の故障が発覚!修理してからの合流。こういうことってあるんですね。オーケストラの後ろの方に楽器や弓が掛かっているのを見たことがあるでしょう?本番中の思わぬ事故に備えるためです。チェロは私が市民オケでお友達になった理科さんとサンタさんです。このおふた方が一番乗り。理科さんはがヴァントハウスSQのボウイングを見てパート譜に写してきたとのこと!すごい気迫です!3-2-1-2の編成、市民オケでの百戦錬磨の弾き手が集まった感があります。

 先生が来られる前には、ラヴェルの「逝ける王女のためのパヴァ―ヌ」とモーツァルトの弦楽四重奏曲第3番Kv.156も。テンポをかなり曲本来のものに近づけての練習となりました。

 ラヴェルは中間部g-mollの部分が難しいです。譜面の誤りを発見!チェロ・パート譜の35小節目全休止(4拍休み)のところが二分休止符が書かれているのです。23小節からのピチカートでのアルペッジョが力技であることは奏者が変わっても同じです。

 テンポが不安定な傾向はあるのですが、全曲をいくつかの部分に分ければ通ります。全体はもっとテンポが揺れる曲ですから、さらに慣れれば呼吸を聴きあったアンサンブルができるでしょう。強弱づけを明確にできるとクレッシェンドしてからmpに落とすなどの洒落た曲想の面白さも弾きあらわせるようになるとさらにいいです。テンポは譜面に示された四分音符=54をもさらに落として48くらいでやりました。

 モーツァルトの第3番の四重奏曲はきれいに通りました。第1楽章は八分音符=200でやりました。プレストの指示ですから、実際はもっと速い。第2楽章アダージョは難題だったはずですが、四分音符=42(あるいはもう少し遅い)で合わせましたら破たんなく最後まで通りました。23小節目の1拍め裏からのシンコペーションはこの曲一番の難所です。ここは合いません。取り出して練習する必要があります。第3楽章のメヌエットは四分音符=120で弾きました。これも破たんなく通りました。強弱のニュアンスがほしいことと全体が雑な感じがするのでさらに磨く必要があります。

 「本題の曲を練習する前に、レパートリーとしたい曲を毎回ざっと通す」ということで、「日本の四季」につづいてパヴァーヌとKv.156をやることになっていますが、今回、その狙い通りに運び、時間配分も30分程度ででき、これからの練習のイメージが明確になりました。

 さらに「不協和音」の2.・3・4楽章を弾いたところで90分経過、休憩です。そこに先生登場。スイーツを食べてから後半戦、「不協和音(ディソナント)」のプロ―ベです。

 第2楽章です。「いくつかの楽節のつなぎ目でほころびが見られるほかは、明るい曲想、前進間のある音楽の流れともにいいです」とのおほめの言葉。楽員は半信半疑(笑)です。ほめられて「意外」と思ったりそういう反応をとるのはディソナント・アンサンブルの結成当時からのカラーです(笑)。

 音が打点に落ちてきて反動で跳ね上がるのと同時に音が出るようにリズムを感じる。時間通りにリズムをスパッスパッと切らない、など呼吸を大切にしたとらえ方の重要性が説かれました。24小節・73小節の3拍めはやはり合いません。第1ヴァイオリンの音は三人三様です。3拍目での力の抜き方(ゆっくり吸う)と次の小節の頭への1st.ヴァイオリンからほかのパートへの「気」の送り方をさらにおけいこする必要があります。31・80小節の四分音符のフォルテもさらに合うように。90からのチェロは三拍子を丸い円でとらえるリズムに乗って、走らないで弾く。最後の最後終わりから2小節目の3拍めの裏からリタルダンド。

 第3楽章です。第1ヴァイオリンのボウイングをどうするかで試行錯誤しました。最初をダウンから入るかアップから入るか(結局、繰り返しの都合もあるので後者でいこうと)。三拍子の律義な感じが強く、リズムの曲線美や踊る人の優雅でエレガントな感じがなかなか出ません。テンポ指定がAllegroなので、四分音符=144に。今までは88で練習していました。テンポが速くなるとボウイングも考える必要が出てくるということです。

 トリオは強弱をつけることと、内声ががんばりすぎて1stヴァイオリンを消さないことに意を用いましょう。くだんのトリオ17小節以後ですが、全く問題なく破たんなく通りました。31小節目を正しく数えられるか否かでずれるかずれないかが決まります。

 いよいよ第4楽章です。この楽章を合わせるのは今回が初めて(!)です。四分音符=112~120くらいで弾きました。私は四分音符76でないと弾けません。くまくんの手仕事さんは四分音符=96でさらっていたといいます。さて弾けるか?

 提示部最後のダブルバーまで止まりません!!!!!83小節からの1Stヴァイオリンの16分音符の動きが支配できません。ここから乱れが生じてしまいます。さらえ!さらえ!先生からは「コダ―イシステムでは16分音符をティリリリ・・・・・・・・と歌う、そうすると合います。休止符もウンと休むのでなくスとかスッと休む。ウンと休むと遅れてしまう」

 しかし、後半再現部での280小節以後が難関です。ここはH(ハー・シ)の音を1でとる第4ポジションで弾くといいと薬剤師さんの指摘。シフティングを決めてさらうことって大事です。さらに269小節あたりからの内声は走らない。第1ヴァイオリンを聞いてつけてあげて、あおらない。

 ついに最後まで到着しました。それにしても292小節がAs-durではじまり、303からの経過句を経て、310小節からはDes-dur、322・323小節はG-dur、324小節で主調のハ長調にもどってくる転調のめざましいこと!天国への道を急上昇した感じすらします。そして326小節からは確信をもってジュピター的な世界が力強い音階の上下で示される。これはたいへんな音楽です。さらに331小節からは半音階で下降していきまた庁が不安定になって、さらに339小節からハ長調のドミナントへ。さらにまた不安定な傾向を示しながらコーダに突入です。ここはハ長調のトニックが支配的で、モーツァルトはリズムの崩しで大いに遊んでいます。最後の楽句は5小節!プツンと一気に終わります。
 
 予定時間を30分過ぎて終了。大変充実していました。この楽しい充実した季節練習を柱に、毎月集まれる核のメンバーが四重奏で練習を重ねておく、というスタイル、これはくまくんの手仕事さんの提案ですが、きわめてうまく働いています。弦楽合奏団ディソナント・アンサンブルの今後の方向が確立された会であったともいえそうです。打ち上げの会食ではまた夏に集まろうと約しての解散となりました。

ディソナントアンサンブル4月30日練習リポート [弦楽合奏団ディソナント・アンサンブル]

 待望の四重奏のパート全員が揃っての練習、先生を迎えての練習です。

 先生がいらっしゃる前にウォーミングアップ。前回の反省を踏まえ、ディソナントの第2第3楽章をまず合わせます。
① 第2楽章13小節目からとくに15小節からが崩壊。同様に59からも崩壊。全員で一定のテンポをキープできません。先生に診ていただく課題です。
② 24小節3拍めから25小節にかけて、25小節の頭の縦の線が合いません。同様に73小節から74小節にかけて、74小節の頭が合いません。これも課題。
③ 結局自分たちだけの力では、このアンダンテ・カンタービレを崩壊せずに通すことができないままでした。

④ 第3楽章ボウイングの統一はしていません。
⑤ やはりトリオの後半が崩壊してしまいます。1拍ずれたままで曲が進行してしまいます。23小節あたりが特に難所だということが、ズレてしまったところですぐ止める練習をすることでわかってきました。

 さて、いよいよ先生を迎えて、第3楽章から本格的に練習です。
① メヌエット5小節アウフタクトからのアルベルティバスの動きで音階を上がっていくところ、「ズコズコズコ」「ドコドコドコ」と上がっていく感じになってしまっている。ここはスタカートで軽く。弓を飛ばしてもいい。7小節にある同じ音型はピアノなので、弓をつけたまま短いディタッシェで軽やかに。
② メヌエット9小節目からのフォルテの音符はすこし粘って長めに弾いてよい。エネルギーが大きいから。同様にフォルテの部分でスタスタ先に行かない。しかし、重くならないように。
③ 51小節にはいるところ、「ため」を作ってみんなでねらって入る。
④ トリオ。チェロのスラーでつながっている二つの音符をどう弾くかのイメージをはっきり持って弾く。どちらの音符に重心があるかを考える。拍の頭を丁寧に。しかも撥ねる。
⑤ トリオ後半、やはり難しい。どういう音楽かを頭に入れるとズレない。

つぎに第2楽章です。休憩なしに練習が続いています。すごいなあ。
① アインザッツが揃いません。第1ヴァイオリンのアクションの後に弓を置くアクションがあるので、指示のテンポと実際に出てくる音のテンポが違ってきてしまう。弓を置いて体を動かして(3で沈めトで上げる)指示を出す。
② 1小節目のテンポを支配しているのはファーストヴァイオリン。(確信もって合奏をリードすること)(それでも低弦とメロディーがピタリと合わない)
③ 1小節目のボウイングは全パート同じ動きに統一してテンポが合わせやすくしましょう。
④ 10小節めにフォルテがあるが、たっぷり。音価を十分に取る。
⑤ 13小節からのメロディーと低音の追いかけあいは休止符での呼吸を深くとって、急がない。(先生が棒を振ってくれたので、今回は合ったかに聴こえたが、今後の課題は自力でテンポを保てるかです)同様に58小節からの同じパターンもそう。
⑥ 24小節と73小節の3拍めは拍の後半でアクションを示してテンポの「気」を他のパートに送る。「結果オーライ」ではあるが25・74小節の頭は合う。
⑦ 24小節と73小節の3拍めの頭にある32分休止符を「無音のス」で示したり、休止符から呼吸をゆっくり吸う(吸って気をみんなに送る)。32分休符のすぐ前の八分休止符の長さが弾くたびに違っていますよ!(犯人はケリー)。
⑧ 31小節目、80小節目フォルテをしっかり置いて(長めに)、二つの音符をしっかり分離させて弾く。
⑨ 最後3小節はリタルダンドしながら弾いてもよい。

 精密な練習で、あっというまに会場を次に使う団体に明け渡す時間が来てしまいました。

 音出し開始の時間が今日は予定より5分遅れました。部屋や部屋に隣接する譜面台の置いてある倉庫がかび臭かったため換気をしましたが、それに時間を取られました。また先生への会場への道順がうまく伝わってなく、先生の会場到着が遅れてしまったのも事務方の失敗でした。

 それから、音程が悪いのにがっかりでした。第2楽章などメンバーが集まるたびに(といっても年一回とかだが)3年も弾いていて結構綺麗に弾けているつもりでいたのだけれど、先生に来ていただいて、こちらの耳も自分のごまかしをゆるさないぞ~モードにすると、自らのアラが目立って目立って・・・家に帰ってから練習して復習したのは当然です。しかし、復習ですが、GWで時間があるからこそできるんであって、なかなか時間を作るっていうのは、アマチュアはみんなその悩み抱えながら弾いていくんですが、たいへんなことではあります。なんと明日も練習です。

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