So-net無料ブログ作成

吉田秀和『フルトヴェングラー』(2)流線形の美と自由「運命」交響曲 [音楽鑑賞]

 今日聴いたのは1943年にベルリンの旧フィルハーモニーで6月30日にライブ録音された『運命』(DG盤)
です。放送用にお客さんのいないホールで録音されたもので、しかも編集で1小節が他の日の演奏と取り換えられているらしいです。

 いま、「運命」を弾いていて、最初の5小節の扱いを再び聴いてみたくなったのです。自著の『音と言葉』で、最初の5小節は全体へのモットーだとフルトヴェングラーが指摘ししているのは、フルトヴェングラーを好んで聴くひとたちはみな知っていることでしょう。

 
 モットーを提示し終える5小節目のDの音を目一杯以上に、伸ばしに延ばし、さらにいったん音楽を切り、非常に自然な八分休止符(!)へと流れていき、その6小節以下は快速テンポで一気に音楽が推進していきます。各楽器間の受け渡しもアーチを描くように淀みなく行われます。流線形の美を見る思いです。

 フルトヴェングラーの演奏に「精神と官能の同居」を指摘したのは吉田秀和先生です。今日の私は、この43年盤に、官能が満ちているとは思わなかったが、天才的な音楽家が旋律美を創造していく現場の感覚を十二分に味わった気がします。

 しかし、このモットー性が一番切実に感じられるのは再現部冒頭でした。

 再現部の5小節は、それまでの快速調からなだれ込むように始まります。停滞を思わせません。にもかかわらず、巨大な壁が現れたような存在感で示されるのです。テンポがあきらかに変化しているのですが、まったく不自然さがありません。これは提示部冒頭でのモットーの提示が迷いなく確信を以て明確に把握されているだけでなく(一小節目1拍目の裏拍のGのアインザッツがあってないとか音が4つ聴こえるとかの形而下(!)レベルの問題ではなく)、かつ聴き手の心の奥にしっかり刻みこまれるほかない演奏になっているからでしょう。

 そして、再現部のモットーに続く部分。ここでのアッチェレランドは凄まじいが、必然を感じさせます。流動性と推進力は素晴らしく、一気にフィナーレまで持っていかれてしまいました。第3楽章でのモットーの出し方も、くっきりしています。この「タタタ・ター」、シンドラーが「運命はかく戸をたたく」と伝えるモットー、これは初期・中期のあらゆる楽聖の作品にあらわれるもので、楽聖の傑作は多かれ少なかれこのイメージとの心理的闘争が見て取れるという指摘があります。「運命」交響曲は全面的な闘争ですね。

 そしてフルトヴェングラーはフィナーレを思い切った造形とテンポで生み出していきます。「バイロイトの第9」かくやの、コーダでのアッチェレランド。これはすごいですが、ベルリン・フィルが一糸乱れず充実した音を作り出しているのにも驚きです。ただし、コーダの最後の最後は大見えを切るような具合になっていて、バイロイトの第9のように駆け抜ける演奏ではありません。ここでもテンポ設定も天才的で、フルトヴェングラーの自由さが作品の内なる声にこたえたもののように聴こえます。

 きわめて充実した演奏で、33分ほどの演奏時間が短く感じられることはいうまでもありません。

nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 1

にくにく

ケリー先生
お疲れ様です。この記事を読んで、1943年の運命を聴きたくなりました。今から聴きます(笑)。
by にくにく (2014-09-13 10:25) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。