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協奏交響曲KV.297b(K.AnhC14.01)覚え書き(1) [MOZART]

 18世紀・啓蒙時代のヨーロッパで、最も後世に影響力の大きいオーケストラが、選挙候カール・テオドールの宮廷楽団であったことに異論は出ないであろう。

 この楽団によせて書かれた作品の作曲者たちはといえば、ひとくくりにされて「マンハイム楽派」と呼ばれてしまっている。モーツァルトの手紙によって、楽団の名手の方が、ずっとよく知られているのである。

 モーツァルトが1787年に母を伴っての求職「マンハイム・パリ旅行」は波乱に富みまさに過酷で悔悟の情さえ生じさせるものであった。しかし、マンハイムで管楽器の名手たちに出会い、彼らに触発され、彼らのための曲を書いたことは。モーツァルトのこの時期の音楽を考えた時、最も重要な部類に属すると思われる。「フルートのヴェンドエリング、オーボエのラム、ホルンのプント、ファゴットのリッター」のために「パリのコンセール・スピリチュエルで演奏するサンフォニー・コンセルタント」を書いたという記述がモーツァルトの手紙にある。

 しかし、様々な理由から(やっかみによる同業者の妨害?)この作品は演奏されず、譜面も行方不明になった。しかも突如として、編成をオーボエ・クラリネット・ファゴット・ホルンのソロに変えた楽譜が、19世紀・1860年代になって、モーツァルト研究者として名高いオットー・ヤーンの蔵書から出てきた。

 マンハイムのオーケストラは初めてクラリネットを標準装備としてもった楽団である。モーツァルト没後の比較的早い時期に、編成を変えて演奏される機会があって、そのときに使われた編曲譜が現在に伝わっているらしい。モーツアルトの晩年(!)にはクラリネットのクインテットもコンチェルトもある。ケーゲルシュタット・トリオもクラリネットが主役だし、交響曲第40番に対しては、わざわざクラリネットのパートを書き足した版まで作っている。

 これらのことから、もしかしたら、kv.297B→kv.297bへの編成の変更に作曲者もかかわっていたのではという空想にさそわれる。

 しかし、パート譜を見てみると、モーツァルトではあまり例を見ないディヴィジョン(同じパートを2分割して別々の奏者が弾く)が目立っている。そして、すべての楽章が変ホ長調となっている。こういう例もモーツァルトにはない。ケッヘルの第6版で与えられた「c」は「疑作ないし偽作」の意味である。海老沢敏先生もkv.297b(オーボエ・クラリネット・ファゴット・ホルン;譜面が伝わっている方)はkv.297B(フルート・オーボエ・ファゴット・ホルン:楽譜が失われている:原曲)の「遠い影にすぎない」としている(『モーツアルト大全集第5巻』小学館)。

 勿論、協奏交響曲が造られたことは間違いなく、その時期はモーツァルトのマンハイム・パリ旅行中である。ケッヘル番号がそれを示すものとなっている。これは余談だが、現代きってのモーツァルトの碩学、ニール・ザスラウが、責任編集に当たるケッヘル・カタログ「第8版」がそろそろ刊行されるころである(すでに刊行された?)が、この第8版では単にKV.297となっているのであろうか

 私がこの作品に親しんだのは、学生時代に高田馬場にあったレコード店タイムで「MOZART AU PARIS」というエラート盤の2枚組LPを買った時からである。ピエルロ(オーボエ)・ランスロー(クラリネット)・オンニュ(ファゴット)・クールシェ(ホルン)という往年のフランスを代表する名手がソロをつとめる色彩の豪華版であって、現在でもこれを凌駕する演奏に出合った経験がない。バックはまだ30代だったウィーンの指揮者グシュルバウアー~彼はその後読売日本交響楽団を振りに何回も来日している。私が聴いた、第9を振る彼は、淡々と音楽を運ぶ手堅い指揮者だった~と、バンベルク交響楽団だった。

 また、いつ頃だったか、めったに日本のオーケストラに言及した批評を書かない吉田秀和先生が、日本のオーケストラの高水準に、音楽愛好家はもっと気付いた方がいい、という主題で、N響をとりあげたことがあった(朝日新聞)。そのN響の取り上げた曲が、kv.297bだった。吉田先生がほめていたのは、管楽器の名手たちのこと。オーボエ小島庸子氏。クラリネットが浜中浩一氏、ファゴットが霧生吉秀氏、ホルンが千葉馨氏だったと思う。千葉さんと浜中さんは鬼籍に入られ、天上で、モーツァルトとふざけあったりしているかもしれない。私がスィトナー指揮でコンサーとアリアを(カサピエトラのソプラノで)聴いたころだろうか?ウェラ―指揮でレクイエムを、リり・クラウスが弾く23番のコンチェルトを聴いたころだったろうか?

 そして、ベームとウィーンフィルの名手が1976年に録(い)れた演奏である(オーボエ;ワルター・レーマイヤー、クラリネット;ペーター・シュミードル、ファゴット;フリッツ・ファルトゥル、ホルン;ギュンター・ヘーグナー:DG盤)。ひなびた風情のクラリネットと、驚くほどの親和性を聴かせるファゴットとホルン。パッセージの歌い出しを担当することの多いオーボエの軽やかさ。リズムは腰の強いバネのようにしなやか且つ重厚だ。第2楽章のじっくりと遅いテンポに、晩年のベームはどんどんテンポが遅くなって云々の批判めいた言質が頭をかすめるが、しかし、譜面を見るとアダージョとある。このベームがとったテンポはまさに全曲の要になっているアダージョ、ではないか。第3楽章の変奏曲ではウィーンフィルのソリストたちの気品と素朴さと名人芸に酔いしれる思いがする。

 そうそう、第1楽章の再現部の直前、ぐっとリタルダンドして間をとってからテーマの再提示が行われているのには誰でもすぐ気付くでしょう。ここにベームの見出したモーツァルトの不意打ち的な、一筋縄ではとらえられない音楽の秘密を聴くのは私だけだろうか?

 さて、この作品を10月にお世話になっている市民オーケストラで演奏する。私にとってモーツァルトの作品を弾けるというのは無上のよろこびである。おそらく迷いもなく、この作品をモーツァルトの真作と考えて、作品世界に入り込んでいくことになると思われる。そろそろ初回練習日も近い。楽器をケースから出してさらわなくては・・・
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