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ウィリアムス・ディーリアス・ウォルトン [音楽鑑賞]

 イギリス音楽の第一人者とたぶん認識されている尾高忠明氏が藝大フィルと3日間リハーサルして、イギリスの音楽を3曲演奏した。

 どの曲もおそらくこれから生で聴く機会は私にはないだろう。

 レイフ・ヴォーン=ウィリアムス「タリスの主題による幻想曲」(弦楽合奏)、フレデリック・ディーリアス「楽園への道」、ウィリアム・ウォルトン「交響曲第1番変ロ短調」。

 フランスの巨匠で、私も大好きで幸い何回も生演奏に触れることのできた、ジャン・フールネ。彼が90歳を過ぎてからのインタビューで、「日本の皆さんに1局でも多くフランス音楽の知られざる名曲を紹介することを続けてやりたい」と語っていたのを思い出す。その時のプログラムには「ラムンチョ」とか「シャイロック」といった曲が含まれていた。あれから日本で何回プログラムに載っただろうか?

 同じような事情が今日の曲にもあるだろう。

 尾高さんは3曲の指揮を終えて、異例にもマイクを持って現れ、開口一番「疲れる曲です」。もちろん会場は笑い声で応えたが、私は複雑な思い。プログラムにも書いてあったのにさらに尾高さん「イギリスの音楽は大嫌いだった」と。イギリスの音楽への共感を表わす言葉はついぞ聞かれずだったが、要は、イギリスの音楽をまだ我々は体験し学習している段階だ。と言いたいのだ。「もし今日の演奏でイギリスの音楽がちょとtでも面白いと思ったら演奏会に出かけてみてくれ。」これは、お客さんを立てた謙遜したものいいだろう。

 演奏は渾身のもので、音をそこに置きに行ったとか、譜面がそう書いてあるからそう弾くというレベルははるかに超えていた。コントラバス7本の14型だが、弦の音は明瞭、金管はよく鳴り、打楽器は意欲的だった。

 しかし、レイフ・ヴォーン=ウィリアムスの曲は2群の弦楽オーケストラと第オーケストラでは各パートの主席のカルテットのために書かれている。視覚の助けで音響・音量の変化がわかり、音楽にはついていける。CDで聞くと、かなりとらえどころがないだろう。

 ディーリアスの曲が結局一番パステル画風で温かく抒情的だったと言えるのだろう。だがこれも印象派風で、旋律的なとらえどころがない(ように私には聴こえた)曲。

 ゥオルトンの交響曲は、循環形式で書かれているというが、まったく私はわからなかった。主題が一度聴いて頭に入るような性格的なものではない。そして延々と解決されない和音が続く。第2楽章のスケルツオが際立ってリズミックではあるが、やはりメロディーラインはつかみづらい。第3楽章はすこしシベリウス的な雰囲気もある。そして響きが際立って明るく鳴ったフィナーレでも、未解決な音楽が延々と続く。最後はシンバルとタムタムの助けと、モティーフをぶった切って投げつける書き方で、そう、力で曲を閉じるというもの。

 尾高さんはカラヤンがこの曲を「20世紀最大の交響曲だ」と評価していたことをプログラムに書いている。

 明らかに後期ロマン派に属する曲だが、私にとっても勉強。後期ロマン派および20世紀の交響曲はどうも苦手。アマチュア・オケの楽員さんが「マーラーやりたい。第7番がいい」などというのを聞いても、私はただびっくりするだけ。今日の曲だって、以前、尾高さんがサントリー学芸賞を受けた時の記念演奏会で聴いたエルガーの第1交響曲だって、好んで2度め3度めを聞こうとは思わない。

 晦渋で、長々としていて、とりとめがない音楽、暗い影のイメージが離れない音楽。まじめな、真面目さをそのまま真面目に示した音楽。

 20世紀の交響曲をそうたくさん聴いているわけではないが、プロコフィエフの「古典交響曲」は何回も聞いているし、ショスタコーヴィッチの第8交響曲とメシアンのトゥランガリーラ交響曲はまた聴きこんでみたいと思う曲である。

 ユーモアや感覚的な喜びが宿っていない音楽にすっと入り込んで行けないということなのかもしれない。「やあ、こんにちは」と言ってくれる音楽、「キミの今日の服の色ステキだね」の音楽。そういえば、私はオーケストラや職場でもチヤホヤされないとノリが悪い。、
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