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悲愴覚え書き(番外編) [音楽活動]

 そういうわけで、悲愴をメインプロにした本番が終わり、腑抜けの呆助みたいになっています。

 先生の指揮は一点一角をおろそかにす るなという気迫のこもったもの。しかも、燕尾服のシルエットが大変美しく決まっていて、気品のある演奏で応えなくてはという気にさせるものでした。

 畏友ハール・シューリヒト氏は、「粒立ちが良い音を響きが包み込んでくれていた」と。恐ろしいことです。なんと細かいことまで聴いているのだろう!さらに「第3楽章の三連譜のクレッシェンド・ディミヌエンドがとりわけくっきりと弾かれていた」とも。そこは私(たち)がとくに気合いを入れて弾いていた部分。

 さらに噂によると、悲愴の終楽章で、何人か泣いている聴衆の方がいらっしゃったとのこと。

 驚くべきことです。

 私のお世話になっているオーケストラの団員平均年齢がおそらく60歳近い。その年輪のなせる技なのでしょうか。

 それにしても悲愴の演奏で泣いていただくなんて。メンゲルべルクやフルトヴェングラーの悲愴で人々が泣いたという伝説的な話は聞いたことがある。それは多分に、大戦前夜という時代の空気のなかでのことかと思っていました。

 これまた畏友、にくにく先生、彼はたいへん音楽の造詣が深く、特にフルトヴェングラーを聴きこんでおられる方ですが、その鑑賞(に値するか否か)の基準を「感動できるか」に置いています。

 今日の聴衆の方々や、にくにく先生のような、全的な心の在り方。尊重されるべきものでしょう。おそらくプロ・アマ問わず、演奏行為にかかわる者は、心の深いところに届く演奏をこそ、と、心に留めておくべきに、ちがいありません。

 音楽は人生そのものであり、人間性そのものである。心から出でん、心に至らんことを(ベートーヴェン)。

 
* なお、今日演奏した曲はスラブ行進曲、眠りの森の美女(組曲:作品66a)、悲愴。ホール撤収時間が迫っていたため、アンコールはなし。
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にくにく

 ケリー先生、過分なるお言葉、まことに痛み入ります。
今後とも色々ご教示下さい。
by にくにく (2014-06-15 08:49) 

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