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東北地方太平洋沖地震 [音楽活動]

 かつて、1995年に阪神淡路大震災が起こった時、音楽家の方々に呼び掛けて、ボランティア出演をしていただき、「阪神淡路大震災支援コンサート」を10回以上開催し、募金を送ったことがあります。音楽が社会の中で受け止められている以上、音楽からの社会貢献は考えられなくてはならないことだと考えたからです。

 昨日3月11日午後3時前に起きた第一震につづいて何度かの大きな揺れと余震、津波と火災で、東北地方が壊滅的な被害が出ています。

DSCN2919.JPG 太平洋プレートとユーラシアプレートのズレが南北方向500kmほどにも及び、巨大津波が面として襲いかかったのです。この地震を起こしたエネルギーはマグニチュード8.8とのことで、これは明治以降の統計的な観察史上最大のものだそうです。平安時代末期にも今回に匹敵する地震で東北地方で1000人くらいの人が亡くなった記録があるそうです。

 出かけようと思っていた矢先に立っていられないような長い横揺れがあり、最寄りの電車はストップ。身動きが取れなくなりました。すぐテレビをつけたらすでに地震の報道が始まっていました。そこにまた揺れが襲い、テレビの電源が切れました。玄関のドアを開けに行きましたら市の災害防止無線が避難放送をしています。

 テレビの画面では宮城の名取川流域をもの車や漁船や火災を載せたものすごい津波が襲っている映像や、気仙沼の街を焼き尽くす火災の映像や、東京湾沿いでの液状化現象、市原の製油所の炎上などを流しています。自然災害の恐ろしさに身のすくむ思いです。

 職場は今日はすべて業務休止。明日も業務休止を決めました。時間の経過とともに被害の実態があきらかになるでしょう。今回は政府の行動が1995年の阪神淡路大震災に比較すると速いのですが、自治体の連携や避難している人への支援がどのように行われるのかは注目していきたいと思います。とくに今回は過疎地域のライフラインや生命をどう守ろうとするのかが問われるからです
DSCN2928.JPG
 身近なこととしては昨年の夏、宮古市の田老に行ってきて、明治時代と昭和戦前の三陸大津波の高さ(14m・10m)を岩肌につけられた標を見たり、高さ10メートルの堤防と水門で街を守っているようすを見てきたのです。田老からの情報がないかと注意しているのですが、どうも、堤防を越えて市街地に津波が入り込んだらしい。「戦前の津波のときは村を畳んで満蒙開拓団に応募して大陸に行こうと相談したくらいだ、という話を父から聞かされましたよ。」と話してくれたパン屋さんの奥さん(私と同じ歳のひと)や、昆布の水揚げをしていた漁師さん、かりんと屋さん・・・大丈夫かなあ。お見舞い申し上げますとともに、ご無事をお祈りいたします。(写真は2枚とも岩手県宮古市田老で撮影)
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Taka

初めまして、タカと言います。

ただ今大学で今回の東北地方太平洋沖地震のチャリティー活動を開始しています。そして、ケリーさんの堤防の写真を校内でのプレゼンテーションに使いたいと思っています。もし、もしよろしければ、お返事の方、宜しくお願いします。


by Taka (2011-03-21 12:58) 

ケリー・ジョーソン・ベーム

タカさん
どうぞお使いください。

別項を設け、昨年(2010年)8月4日に田老を訪れた時の写真をいくつかアップしますので、それも含めて使っていただって結構です。

相変わらず多忙で気づいてお返事するのが遅くなって申し訳ありませんでした。
by ケリー・ジョーソン・ベーム (2011-03-29 21:46) 

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